チキンカレー 『タンダーパニー』 店主 又吉和男(中編)

大阪郊外、阪急宝塚線庄内駅前の豊南市場へ瞬時の会話を支えているのは長年の付き合い信頼関係があってこそ素材を厳選できる
「キウイも使てんか!」と色とりどりの素材
「ゴボウをお茶にして飲むねん」。ご自身用

「変わらぬモノと変わるモノ」

又吉さんは、とにかく日々こつこつと同じルーティンをこなしています。まるでメジャーリーガーのイチローがバッターボックスにはいるときのよう。毎回まったく同じリズムと動作をこなして、さぁ打つぞ、ではなくて、おまたせ、てな感じです。

昔から変わったかなと思うのは、わずかに営業時間と値段、あとは又吉さんのスタイル。以前は確か白いコックスーツ、時にTシャツにバンダナ姿でした。あの、スプーン一本でぽろりと骨から外れるチキンと、さらさら以上どろどろ未満のとろみ、活きたスパイス感、オニオンスライスの付け合せなどといった、メインステージはなんら変わりがありません。

また、手作りに撤している点も同じです。今まで僕は、又吉さんの手と、愛用の木べらの取材企画をしたことがあるのですが、これなどは数年もの間、他のメディアも後追い取材を続けたくらい、なかなかのトピックだったと自負しています。

又吉さんの手の平は、大工さんみたいに皮が分厚くてかちこちなんです。一般的に料理人の手は色が白くて皮膚はきめ細かくなりがちなのに。この理由はタマネギを炒める際に使う長さ6〜70センチもある大きな木べらにあります。そのときの材質によって一概には言えませんが、大きくは半年で10センチも磨り減るのです。それくらい、すべて手作業で仕事をこなしている。

これぞ『タンダーパニー』の味の最大の秘訣だ!と思いました。又吉さんはまさに「カレーの鉄人」ですね。そういうと、当のご本人はこんな風に返してきます。

「ぶっふっふっ・・・。でもなカワムラちゃん、カレーの味は毎回変わってしまうんやで。どんだけ同じように作っても、こればっかりはビッミョウに変わりよる。カレーはなかなか言うことを聞いてくれへんわ」

又吉さんは、何十年経っても、ちゃんと計測してスパイスや素材を加えています。それでも味は変わる。

実はそのことを僕はわかっていました。どれだけ完璧に作っても、同じ方向ではあるが同じ味ではない。わずかに甘みが膨らみすぎていたり、塩気の角が立っていたり、チキンの脂分が違っていたり。カレーのみならず、その周辺もすべて違います。ライスの具合、果物の舌触り、オニオンスライスの匂い。良い悪いじゃありません。また、必死で味見しているわけでもありません。ただ、自然に感じ取ってしまっているだけのことです。

結論から先に言えば、これは合成調味料や既製品を使わず、野菜やスパイスのみ、つまりすべて自然のもので作っている証ともいえます。

多くの料理人も同じだと思いますが、僕も昔はそのことに散々悩みました。でも、1990年代に、名古屋にあった親戚の畑を手伝うようになってからはっきりとわかったのです。

”素材は生きている”。

言葉にするとあまりにも呆気ないのですが、これが頭を大きなハンマーで叩かれたかのように、とてつもなく衝撃的で深みのある理解でした。

でも、皆が皆、畑作業をしながら店をやれるわけがありません。街中では自転車さえも置けない狭い路地に店が犇いています。また、生産地が遠方だとか、人手が足らない、多忙すぎるなど、いろいろあって、仕入れに行くことさえできない方も多くいらっしゃいます。

又吉さんの場合は、今でこそ息子さんが手伝うことはありますが、それまでは核となる部分をすべて1人でされてきました。そして今でも、仕入れはご自身が足を運んでおられます。

仕入先は昔と殆ど変わっていないそうです。メインとなる市場が店から車で15分ほどのところにあります。行政が管理する卸売市場ではなく、民間企業が経営する街の市場です。

大型の複合商業施設が街を牛耳る昨今ですが、こちらは駅前商店街の一角にあり、地元の老若男女から一流の料理人まで幅広い客層が集う、人間模様が楽しいアナログな市場です。

市場のゲートを越えて、足早に八百屋へ向かう又吉さん。

(又)「おはよ!タマネギはどんなん?」
(市場A)「淡路産はまだですわ。今週いっぱい続くね、北海道かニュージーランド。来週あたりには淡路がはいってくるという話やで」

— そこに奥のほうからやや年配の方が顔を出す。

(市場B)「おーす、カズぼんやないか!元気?なに、淡路のタマネギ?今年はなんや雨が長引いたせいか出てくるんがえらい遅いわ。ま、甘みはあるやろうけどな」
(又)「わかった、とりあえず1箱だけ、後で取りに寄せてもらうわ」

*「カズぼん」と呼ぶ市場のおじさんについて聞けば、又吉さんがまだタンダーパニーを開業する前からの付き合いらしく、若い頃にお姉さんが経営する喫茶店を手伝っていた頃に出会ったとか。単なる利害関係だけの付き合いではないということですね。

— 隣の果物屋へ移動

(又)「さてさて、次はリンゴとパインと・・・・」
カレーの口直し的な存在としてセットされる果物を仕入れます。
(市場C)「まいど!キウイも使って。まだ酸っぱいかも知れんけど」
(又)「しゃーないな、わかったわかった、いれといて。また後でくるわ」

— 実に足腰が軽い又吉さん。ゆっくりと歩く老人や業者の豪快な台車をかきわけ、20m先の市場で最も大きな八百屋へ。

(又)「ほーい、ニンニクとしょうがちょうだい!」
(市場D)「あ、お久しぶりです」
(又)「この子、もとはうちのお客さんやったんやで」
と、40歳前後と思われる男性をそう紹介してくれました。少し近況を話した後、二人でなにやらひそひそと会話をはじめ、その1分後に奥から大きくて真っ赤なトマトの入った箱が登場。

(又)「むふむふ、ぶふふふふ・・・・・・。見てみ、これ、形は不良やけど味は優等生や」
— 触ってみると、ずっしりと重たく、しゅわ〜と音が聞こえてきそうなほど活力が漲っていました。

(又)実はトマトが癖もんなんよ。こいつの機嫌を損ねたらカレーが台無しになるからな。

— 最後は予約を入れておいた店へ再び立ち寄り、一気に荷物を引き上げていく又吉さん。これらを車に積んで、またすぐに店へとんぼ返りして、明日のための仕込が始まります。

ついでに、お茶にして飲むとかで、ゴボウも買っていく又吉さん。

文章という限られたスペースなので、ざっくりと書きましたが、この短い中にも、たくさんの「変わらぬモノと変わるモノ」が垣間見えたかと思います。変わらぬモノは又吉さんや市場の人々の姿勢、つまり”生き様”。変わるモノは素材。産地や形、色、風味、味、食感・・・。

この合間を行き来しているのが、人と人のコミュニケーションであり、そこに信頼関係があるほどに、素材は愛されながら丁寧に人から人へと手渡されていきます。決して値段という数字や、傷の有無や整った形などといった表面だけで取引は行われていない。

又吉さんは、いつものようにタマネギの皮をむき、同様のリズムで木べらを回し続けます。また、同じ支度をして、お客を迎え、同じ仕上げを施して皿に盛り付ける。少々体調を崩すことがあっても、休むことなく、この作業を何十年も繰り返してきました。

あまりに地味だから、いちいち騒がれることはありません。でも、この一連の動きを又吉さんはずっとやり続けています。

ご自分では「僕はこれしかできへんから」とおっしゃいます。

いやいや、人から囃し立てられたり、舞台の上でスポットライトはあたらないかもしれませんが、でも実はそれが一番格好いい、と思えて仕方がありません。

僕などは寡黙に生きる勇気がない。常に不安でいっぱいなもんだから、厨房の中にずっと立っていられなくて、周りが気になって気になって。

店の門から思い切って外に出て、僕がライターとして歩き始めたのは1993年頃。最初の頃は、とにかく他人他店の技が気になっていました。でも、やがて、その方の生き方、考え方に強い興味を持つようになっていく。どうやら自分の不安の根源は、技や知識の欠落ではなく、もっと基本的な人としての未熟さ、自信のなさであることがわかってきたのです。

又吉さんを格好よく思うのは、人としての強さを感じるからだと思います。もしかしたら又吉さんだって最初から強かったのではないかもしれません。一つ一つの壁を乗り越えてきたから、傍からは「強い」などと思われているだけなのかもしれません。

ここまで、いや、今もなお寡黙に歩き続けている又吉さん。味は微動しても、その姿勢に一切の揺ぎを感じません。そんな又吉さんの力の源はなんなのか。次回はそこんところを書きたいと思います。

『タンダーパニー』