チキンカレー 『タンダーパニー』 店主 又吉和男(後編)

「関大前店」の謎はこれで解けた!?
定休日でもしばしば仕入れや仕込に追われる帰路に着く又吉さん「おつかれぇ〜」
一本一本、手羽元骨付き肉を手入れ
現在、治輝君はバータイム営業中!
夜の『タンダーパニー』

「タフの理由」

又吉さんは本当にタフだなぁとつくづく思ってしまいます。
なにせ、お1人で20数年間もの間やり続けているのだから。もちろん、単に長くやっているだけではありません。とことん丁寧で、手抜きのない仕事を繰り返されているところが圧巻なのです。

どこを取ってみても凄いのですが、たとえば仕込み。既製品に頼ることなく、手作りに徹していらっしゃる。これ、言葉にすると、あぁそうですか、って感じですが、現実には並大抵ではできません。

1回の仕込みに10kgのタマネギを使用することを、その昔雑誌に初めて書いたのはこの僕です。で、僕の無謀なアイデアでそのときの写真はカレーではなく、又吉さんのごつごつとした手のアップ。でも、これが読者のみならず、各媒体にも強いインパクトを与えたみたいで、それから数年間はまったく同じ内容の取材が相次いだと聞いています。

ただ、あの時世間は、その料理人とは思えないような手や、大きく磨り減った木べらばかりに注目しましたが、本当に凄いのは、やはり10kgという単位です。

しかも、野菜には歩留まりがありますから、実際には10kg強のタマネギが必要です。さらにこれも良かったのか悪かったのか、別の機会に「オニオンスライスをたっぷりとのっけて食べるとなお快適」みたいなことを僕が書いてしまったこともあって、それまでは一部のファンだけがそうしていたものを、一見客であってもお決まりモードでそうやってしまうようになりました。つまり、もっともっと大量のタマネギを又吉さんは日々こつこつと支度していたというわけです。

タマネギはとにかく手強いです。飲食店に勤めた経験のある方ならお分かりかと思いますが、目に染みるからというよりも、皮を剥くことがもっともきつい。指先は万年タマネギ臭がします。爪は真っ黒になります。皮がぺろっと素直にはがれないこともしばしばです。あぁ考えたくもない。

大きな店、組織的な店ならばだいたいこういうつらい仕事は新人にやらせますが、ここは又吉さんのアトリエ。逃げたら終わってしまいますから、嫌いとか好きではなく、やる以外に道はありません。

で、そのうえ、トマト、ニンニク、ショウガなど、ほかにも色々と目白押し。鶏肉もしっかりと手入れをします。血などの汚れを洗い流し、一本一本丁寧に余分な脂肪などを取り除き、チェックをしてから水分を切っていくのです。

余談かもしれませんが、意外に知られていないことを付け加えておきますと、添え物の果物も昔から3種類を用意します。定番は生のキウイとりんご、缶詰のパインです。緑色、白色、橙色をイメージした黄色の3色で、インドの国旗の色使いを意識してこうなってます。シャレもきいてますね。

さらにもういっちょ。料理というものは極めている人ほど計測をすることが多いです。又吉さんはすべての素材を計測しています。数え切れない素材をきっちりと。やったことのある人なら分かると思いますが、計測する作業というのは実に面倒です。

とまぁ、これだけのことでもため息が出そうになるのに、店の仕事なんてのは料理以外のほうが多いわけで、もう想像しただけで僕などは血圧が下がりそうです。

この気の遠くなるような作業の一つ一つを、手抜きせずに丁寧に、20余年やり続けている人を、いまだに見たことがありません。格好いいレストランや料亭みたいなところならどんどん若手も集まってくるだろうし、お金の桁も違うでしょうから複数の人間を雇うことができます。でも、カレーですから。

いつまで経っても腐らないような合成品と、袋には国産と書かれていても実際にはどこから来たかよくわからない米を使って500円で売られているのもカレー。インド産のカレー粉、とにかく安いタマネギ、生クリームと冷凍食品でコテコテにしただけのものでも、インド人風のスタッフが立っていると1500円の値がつくカレー。さらに、イセエビを使ったからといって5000円もするような有名ホテルのそれもカレー。

これらすべてがたった一言「カレー」の中に入ってしまう現実があります。だから値段と量を比較されて、問題はうまいかどうかだけなどと片付けられてしまう。そう、はっきりいって嘘っぱちが紛れ込んでいるから疑心暗鬼が生れてしまうわけです。調理師の資格制度を変えるほかに対策はないのでしょうか。ふむ、話を戻します。

とにかく、又吉さんは信じがたいほどのタフな男なのであります。このタフさはいったいどこから来るのか。長いお付き合いなので、「いまさら」感があって、照れくさいのですが、あらためて又吉さんに尋ねてみます。

「はぁ?なんでやろうなぁ」
そんな返事が来るだろうなとわかっていて、また別の日に聞いてみます。
「ぶわっはっはっは・・・・、自分でもようわからんわぁ」

とまたお決まりの回答でしたが、今度は店を出て商店街のカフェにてしつこくもう一度尋ねます。すると
「う〜ん、たぶんカワムラちゃんとよう似たもんやと思うでぇ。カワムラちゃんもいつも元気やし」と、それまでとは違う言葉が出てきました。

そして、この言葉がストンと腑に落ちました。”やっぱりそうか”というと生意気かもしれませんが、どこかでそのようにも感じていたからです。

ようするに”自分の好きなことをただやり続けている”だけのことなのではないかと。

もちろん、それはわがままな意味ではありません。ここでいう”好き”というのは、単なる好き嫌いのことではなく、なぜだかそれに興味をもってしまう、そういえば得意だったなどといった、いわば無意識に近い世界のことを意味しています。

聞けば又吉さんは19歳のときから飲食店に従事していたそうです。それまでも、中学を卒業してから大手の機械系メーカーに就職し、時間を見つけては喫茶店巡り。特にその店々の人の仕事ぶりに興味があったらしく、気がつけばそれが自分のシミュレーションになっていたようで。

最初に勤めた飲食店は、7人兄弟のうち2番目のお姉さんが開いた『エリカ』(1965年頃〜1977年頃。西淀川区野里。後に塚本駅近くにも出店。店名は『英里加』に)。4番目のお姉さんも共に働いたそうです。

朝は6時半頃から準備をはじめ7時にオープン。当時は料理がおいしい喫茶店ということじたいが斬新で、周囲にはまだ似た店はなく、自動車屋や関係する工場が林立していったこともあって、モーニング・ランチ・喫茶タイムと、一日ずっとごった返し続けるような盛況店だったそうです。

そして修業へもでます。近所にあった有名な洋食レストランにはいり、店にとって大切な一連の仕事をあらためて体得し、再び『英里加』にカムバック。

その後、奥様とであい家庭を持ち、『英里加』を退職し、しばらく厨房以外の仕事に従事する時代もあったそうな。

そしてついに運命の時がやってきます。1988年頃、又吉さんの一番上のお姉さんが阪急宝塚線曽根駅近くに『タンダーパニー1号店』を開業しました。これが当時のお客さんたちの間で語り継がれる”幻のタンダーパニー曽根店(〜2003年末)”です。

当時の又吉さんの仕事は夕方早めに終わる仕事だったこともあり、時折タンダーパニー曽根店へ顔を出し、お客のいない間などに仕込や片付けを手伝うこともあったそうです。そしてあるとき、お姉さんからこのような言葉がかけられます。

「あんた、そろそろ仕事を考えなおさなあかんよ。大きなトラックを運転してるんやろ。危ないしなぁ。いつまでも続けられる仕事やないで」。

徐々に、又吉さんの中に眠っていた飲食店への細胞プログラムが呼び起こされます。そして、曽根店誕生から2年近く経った1990年、ついに2号店(現在の店。関大前店)が誕生したのです。

店は2号店といえども、曽根店とは独立した採算。ご子息の治輝君も3歳になっていたこともあり、志新たに又吉和男さん夫妻の『タンダーパニー関大前店』がスタートしたというわけです。

というわけでカレーの原型は曽根店で生れたものということになります。もちろん、繰り返していくうちに、曽根店とは少しだけ違った、関大前又吉さんの味というものが育っていきます。

当時は、曽根店と関大前店のそれぞれを愛したファンが多くいました。同じような味をそれぞれ違った雰囲気の場所で楽しめる。また、中には曽根と関大前の微妙な味の違いを感じて楽しんでいた人も多かったようです。ただし、曽根店の客からしてみれば関大前店はちょっとアウェイ感が強かったように思います。わずか5キロしか距離がないのに。

その理由にまず沿線が違うことがありました。曽根駅というのは阪急梅田駅を基点に北北西へ延びる宝塚線沿線にあり、丘陵地ではありますが、歴史も古く、商店街や住宅街が広がっているところです。一方の関大前駅は、宝塚線よりも東のブロックを北へ延びる千里線沿線にあり、千里山という昭和初期までは別荘や企業の保養所、動物園があったような田園都市。そのような閑静なところだったために、道路は複雑だし、道は狭くて曲がりくねっている、駐車場も簡単には見つけられませんでした。

ちなみに僕がはじめて知ったのは曽根店のほうです。当時やっていたバー(P・AGE・BAR 1991年〜2007年)の常連客の中に曽根店の常連客が多くいたからです。しかし、なぜか僕は関大前店にはまっていく。だからしょっちゅう自分の店で情報交換をしてましたね。「曽根の味は日によって変わる」「関大前はちと辛い」「関大前の車での行き方」「ひそかにサモサもうまいんや」などなど。

ま、僕などは数えるほどしかいってないような薄っぺらい客ですが、連日のように通ってはタンダーパニーの話題をするお客さんをみるたびに、あぁ凄い店だなぁとずっとそう思っていました。”僕もいつかタンダーみたいに本当に客から愛される店をつくりたい”と。

この客と店の相思相愛の関係がパワーの源のひとつのような気がします。

そしてあともうひとつ付け加えたいのは、又吉さんがこれっぽっちも威張ろうとしていないことです。カレーの本格さを強調するわけでも、インド通を誇張するわけでもない。また頑固なキャラクターを仕立てあげようとしているわけでもない。だって一言も、そんな自己主張を聞いたことがないですから。

つまり、競争意識というエゴではなく、ただただ人や店の縁を大切にしよう、という濁りのない心が力を生み出すのだと思えます。そしてそれは結果的に、家族を守るため、お姉さんなどのご兄弟への恩返しとなり、ファンのためにもなっていく。

純朴で素直で自分にも人にも嘘をつかない。それはとてつもなく厳しいことと思います。でも、それを貫いてこられていることが僕などのような小心者にはとても自信につながります。

又吉さんのカレーの中には、生き方というメッセージがいっぱい詰まっていますね。 

第四話 特別編へと続く

『タンダーパニー』