母の旅立ち<上>★

甥っ子ユウが描いた絵病院まで歩いて40分誕生祝いはダルム羽田で千疋屋のデザートリンゴをヴァニラで煮るおからロシアンクッキーKURUME・ジェラートで練乳ミルクユズ大根

福岡・久留米で闘病中の母が旅立ちました。最期の1週間を記します。

私と丁稚ケイが久留米に着いたのは木曜日だった。

スーツケースを転がして、入院中の母の病室に直行した。

羽田空港で買ったカニ寿司3カン、千疋屋のフルーツ杏仁豆腐を携えて。

一緒に暮らす姉はその週の火曜日、医師から緩和ケアを勧められていた。

「もう痛みを除き、穏やかに過ごすことを優先したほうが…」。

難しいがんと分かって2年だった。

電話越しに姉は続けた。母の人生の残り時間について訊いたらしい。

「年内、って言われた」。

「えーっ、そんなに早いん」。間抜けな声を挙げた。

「まだお母さんに言われなよ」。口止めされた。これで、いいんだろうか。

言うのも隠すのもためらわれた。とにかく笑顔で接しよう。

「足が痛いんよ」「手もおかしい」「どうなるんかなぁ」。

母は不安そうに繰り返した。

出張中の姉が作ったおでんを甥っ子ユウ、リョウ、丁稚ケイと食べた。

金曜日、夕方に病院へ。

姉宅から歩いて片道40分、街路樹のイチョウが黄色に染まっていた。

途中で母もお気に入りのジェラート店「KURUME・ジェラート」に寄ろう。どの味がいいか訊こうと電話したが出なかった。

食べないかも…と思い、素通りする。

病室で母は困ったような顔をしていた。「何かおかしい」。

緩和ケアのことは、担当の先生がサラッと告げてくれたらしい。

母は説明のチラシを見せた。「こんなの渡された」。あっさりした口調だった。

受けるともイヤとも言わなかった。

土曜日、私の誕生日だった。

お手製の蒸し餃子を保温弁当箱に入れて持って行った。

「おいしい」。そう言って3つ、お箸で食べた。ホッとした。

「私、きょう、誕生日です」。そう言った。あっ、という顔をしていた。

「おめでとう」。

忘れていたのかな…。でもウトウトしていることが多く、何日なのか意識していないようだったから仕方ないか。

病室を出て焼き鳥「鉄砲」へ。姉たちにダルム(もつ焼き)でお祝いしてもらった。

日曜日、姉たちと一緒に見舞う。

夜中に作ったリンゴのヴァニラ煮を渡した。

母の顔つきが険しくなったような。

とにかく母に笑ってもらいたい。「大丈夫、大丈夫」。何度も繰り返した。

月曜日、訪ねたら顔を洗ってもらっていた。

気持ちよさそうにしていた。ホッとする。

緩和ケアの先生から「好きな音楽をかけてもいいですよ」「クリスマスか正月におうちに帰ってみては」とアドバイスされる。

目標になっていいかも。できれば岡山へ帰してあげたい。無理かな。やさしい先生に尋ねる。「受け入れがあればOK」とのことだった。やれるかも。

でも律儀に薬を飲んでいる母は、むしろ不安がるかな…。

火曜日、病院近くの電気店で小さなCDラジカセを買う。

CDも買った。この日発売のユーミンのベスト盤、コンサートに行ったことがある松山千春…。4、5枚を買って渡した。

ユズ大根を差し入れた。「何これ?漬け物?」そう言いながらおいしそうに食べていた。

おから入りロシアンクッキーも食べてくれたようだった。

「白いの、おいしかったよ」。そう言ってカラのタッパーを返してきた。

病院食はおかゆだけ口にしているようだった。

「何が食べたい?」そう訊いても思いつかないようだった。

料理本を2冊、買った。載っている料理の写真を見たら食欲がわくかも。そう思った。

ブリ大根、鶏そぼろ、鯛めし、岡山育ちだからカキの時雨煮…。

「言ってくれたら何でも作るよー」。そう言って渡そうとした。

母は受け取らなかった。「あんたの本じゃねん?ならいらん」。

7度目の入院は2カ月を越え、荷物は増えていた。確かに置き場もなかった。

☆ユズ大根(長さ5㎝、80本)

大根 1/2本(500~600g)、米酢 50g、砂糖 50g、塩 大さじ1/2、だし昆布 10㎝、ユズ 1個

1. 大根は皮をむいて幅1㎝、長さ5㎝ほどの拍子木切りにする。

2.ファスナー付き袋(Mサイズ)に米酢、砂糖、塩、だし昆布を入れる。大根を入れ、ユズ皮を削り入れる。果汁も絞って入れる。

3.袋を閉めてから5〜6回、さかさまにして砂糖、塩を溶かす。

4.最初は水分が少なくて浸からないが、大根から水分が出るので大丈夫。時々上下にひっくり返す。

5.3時間以上置いてどうぞ。