レストラン『星月夜』店主 加藤 俊介(特別編)


「心で付き合う、という生き方」

ザザッーーーーー。波と波の狭間に水鳥がカァーカァーカァー。そして時おりどこかでトンビがピーヒョロロロロロ・・・・。

「うわっ〜、これもでけぇ!またまた親分ゲットだぁ!」
本日は曇天。しかし俊介君は先からノーテンキな声を上げています。

あーあー、ただいま磯にて海苔の収穫中。それはだいたいが1、2センチ。軍手をして摘み取るわけですが、それでもツルっとすべるし、岩にしっかりと根付いているので、なかなか骨の折れる作業です。

そんな中でたまに3センチや5センチ、そしてきわめて希に10センチくらいの長い髭のような海苔が隠れていて、それを発見するたびにめでたいことから「親分」と呼んでいたのです。

俊介君のエキサイティングな声に「こっちにも親分がいたよ〜!」と応じるのは相棒の小島さん(『星月夜』の設計担当)です。今日は小島さんのご家族も一緒で、まだ小さな2人の娘さんは、寄せては返す波にきゃーきゃーと大喜び。そして里奈さんはマイペースで採取しています。

各自、30センチほどの赤色のネット袋を片手に持って海苔を摘み取っています。

海苔はテトラポットにも生息。また、鋭角に深い溝が幾重にもなった岩礁にもついています。つまり普段は海に浸かっている部分に生息しているというわけです。

俊介君と小島さんは「おぅっ」とか「うっひょ〜」などといろんな声を上げながらどんどん先へ進んでいくのでした。

天気予報では雨でしたが、今のところなんとかセーフ。風もさほど強くなく、お昼頃がちょうど引き潮になるため、海苔の収穫にはいいタイミングでした。

「海苔なんてものはいつでも簡単に採れそうに思うけど、まったくそうじゃない。海は、ひと潮ひと潮(満潮と引き潮の繰り返しの意味)、あらゆることが変わっていくもんやから。時期的に最もいいのは12月から1月の間。温かくなるにつれて色も褪せるし香りもなくなっていくんよ。だから今日は今シーズンのぎりぎり最後かな」

そう話してくれたのは「てっぺい君」(玉川鉄兵さん)です。濃い眉毛に、腰にかかるほどの長い髪。背はさほど高くはないのですが、がっちりとした体格で、これほどにゴム長と頭に巻いたタオルが似合う男もそういない、と思わせてくれる風貌です。俊介君が話していた「海女さん夫婦」のご主人です。

「今日はワカメの口開け(漁の解禁日)やったし、採れたばかりのワカメも俊介らに見せてやれるからちょうどええわぁ思うて。ただ、僕んところの浜は3月1日やけど、隣の浜なんかはもうすでに始まっとる。このあたりは各浜でルールが違うもんやから。ほんまなんだかんだと厳しいルールがあるんよ」

浜といっても長さ100メートルほどで、この日は小舟が2、3隻、地上に上げられているようなこぢんまりとしたところです。

我々が今いるのは志摩半島東部のとある浜。近くでは軽やかな潮と砂のこすれあう音が、はるか向こうではズドーンと、岩に波がぶつかる低い音が響いています。さすがのダイナミック・ザ・太平洋。

海苔を収穫しながら時々俊介君がてっぺい君に話しかけています。
「いやぁ海はこんなにも広いのに、海苔ってめちゃめちゃ細かくて、本当に手間隙がかかるね。まだこんだけしか採れてないよ。この袋いっぱいでどれくらいの海苔が出きるの?」

「俺も普段はあんまり海苔をやらないから詳しいことはわからんのやけど、このあいだは板海苔にすると4枚しかできんかった!ほら、あの売ってるものと同じくらいの大きさで。ほんまたまらんわっはっはっはっはっ・・・・・・・」

「ええっー!どえれぇ貴重じゃん。大事に食べなきゃいかんね」

「そうなんさ。だから海苔の殆どは養殖やわ。でないと食えんよ。まぁ、養殖は内海でやるもので、ここは外海やから天然ものしかないんやけど。一部放流されたアワビがおるくらいやわ。そもそも海女の仕事じたいが天然相手なんやけどなぁ」

磯の上で他にもたくさんの話を伺いました。
今日収穫しているのはアマノリといわれるもので、これが板海苔になるまでの工程。海苔にはメハバノリ、カイノリ、フノリ、アオサなどたくさんの種類が存在すること。また、各地によって呼称が変わること、などなど。

収穫を始めて3時間ほどが経ったでしょうか。ぽつぽつと雨が頬に当たりだしました。
「おおっと、ついに雨がきよったかぁ。お〜いっ、みんな!そろそろ港へ戻るよ」

みんなの袋の中はなんとか半分くらいになっていました。時刻は3時頃。てっぺい君の案内によって我々は無事に海苔の収穫を終えることができました。

夜、てっぺい君の離れ「海の家」で食事会を開きました。その家は、太平洋からの力強い風と大きな波が体当たりしてくる岬の上にあります。

みんなで食卓の準備をしました。食事の内容は、マグロの造り、ゆでた亀の手(磯に生息。フジツボなどと同じ甲殻類)、ごはんと炙ったハバノリ(てっぺい君製)、ボラと野菜の鍋。ほか諸々。

どれも、ここでしか味わえない一期一会の味ばかり。本物の贅沢が溢れています。

そして、さらに嬉しいのは、俊介君の師匠である岡田桂織さんもいらしたことです。彼女は後で遅れて合流しました。

ビールで乾杯をして、いろんな珍味を口に入れていくにつれて、みんなの舌もどんどん元気になっていきます。

合間を見ながら、僕は俊介君とてっぺい君の関係をうかがいます。2人が知り合ったのは、この町の出身でもある月の庭のスタッフがきっかけだったこと。そして後編で話にでてきた「三重オーガニックマーケット」や、東北の大震災の支援、また「お米の里帰り」も共にやってきた仲間だという話など。

やがて酔いもまわってきたのか、てっぺい君の個人的なことへ。彼はインドやネパールに何年も暮らしていたことがあり、そのときに奥さんの望さんと出会ったとか。実は沖縄の小浜島の出身で、こちらに来たとき、信号や車、換気扇を見て驚いたということ(当時の小浜島の人々は窓を閉める習慣がなかったので換気扇がなかったらしい)。いまだに携帯電話をもっていないとか、あまりにも面白い話が続出。

おかげで、みんなが大きな声でいっぱい笑いあうことができました。

さて、食事もひと段落し、俊介君たちが少しの間だけ席をはずした際に、今回の架け橋役となった桂織さんから話を聞くチャンスがやってきました。桂織さんから見て俊介君とはどんな男なのでしょうか。

「そうやね、まず誰に限らず、私はスタッフ全員に同じように接してきてるんよね。だから俊介だけに特別なにかをしたわけじゃない。ただ、彼には自らを開花させるセンスがあった。受け取って、消化して、生かすことができる人だった、ということ」

”なにやら初めて会ったその日から店を任せてもらえたとか。それって凄い話だね!”

「はははは・・・・・ほんまに私らは誰に対してもそんな感じで。まぁ多くの人は責任を持たされるのは嫌っていうけどね。でも彼は違った。いいんですか!なんて感じで、自分から提案もしてきたくらいやから。

ある日、月の庭でなぜだか怒って帰っていったお客さんがいて、でも俊介はそれを追いかけた。で、そのお客さんは昔と味が変わっていたから残念に思って、と言ったらしい。そういうことをちゃんと聞き出して戻ってきたのよね。あぁ、この人はちゃんと心で付き合える人なんや、とあのとき思った」

桂織さんの「心で付き合うことのできる人」という言葉が実に印象的でした。

と、そこに俊介君たちが戻ってきました。
「もう帰ってこなくていいのに!」(桂織さん)
「えっ、なになに、何の話してたんですか!?」(俊介君)

こんな感じで楽しい食事会はすすみ、しばらくした後に桂織さんは亀山へ帰宅。我々は海の家で泊まらせていただき、楽しい一日が終わりました。

さて、前編で俊介君の料理には、何か強いインパクトと、不思議なメッセージめいたものが伝わってくる、という話をしましたが、それが何であるのかがちょっとだけわかったような気がします。

それは「ドラマ!」というとちょっと抽象的過ぎますかね。
キーワードは「人との分かち合い」です。設計を担当する相棒の小島さん、苦楽を共にするパートナーの里奈さん、起点となった師匠の桂織さん、そして海という普遍の職場を持つてっぺい君と奥さん。ほかにもいろんな方々が。

俊介君はそんな方々の現場へ出向き、実際にいろんなことを分かち合いながら様々な感動を身体に刻み込んでいるということです

そう、品物の前に、人々の気持ちや姿勢を俊介君は仕入れている。ちゃちゃっと聞くとか調べるとかじゃなくて、一人一人真正面から接して、物事も一つ一つ丁寧に時間をかけて身をもって、つまり「心で付き合う」。

だから身体が記憶した感動が料理にも乗って、こちらは頭ではなんだかわからないのだけど、肌に感覚として伝わってくるのだと思うのです。

「安全、元気、美味しさ」を提供すること。この、めちゃめちゃ簡単そうで当たり前っぽいことが、実はとても難しいのですが、そこから逃げない騙さない諦めない、というのが加藤俊介であり、それが大きな信頼となっています。

便利と私欲ばかりを追求し、気がつけばいつのまにやら人間不信。そんな疑心暗鬼がうごめくかのような時代に、俊介君たちの存在は勇気と自信を与えてくれています。

まさに闇夜を灯す星のような存在です。

おわり

『星月夜(ホシヅキヨ)』