工房『wood face』木工作家 阪口 孝生(後編)

「木工作家への道のり〜その1」

話は阪口君の部屋に戻ります。
工房のみならず、部屋にも木工に関するものが溢れています。まず目に飛び込むのが無垢の板を綺麗に張り詰めた玄関と、その先にひとつのテーブルと椅子。ここが阪口君のデザインルームとなります。

そして、すぐ右側には大きな棚があり、資材や道具と思われるカタログ、書類、写真集のようなものがびっちりと。

これらの専門書とは別に、僕は中段に見入ってしまいました。そこには巧緻なミニチュアインテリアがいっぱい並んでいたからです。これもすべて木製。まさか阪口君が作ったというのでしょうか。

すると彼は逆に不思議そうな顔をして、
「えっ、なんで!?僕が作ったけど、なんかおかしい?」

”なんだこりゃ!っていうくらい精密にできてるやん。家を作ったかと思うと、こんな手の平サイズのミニチュア家具まで作っちゃうし。僕は阪口君ことをわかってるつもりだったけど、どうやらまだまだわかってないね”

「まぁ、これくらいやったら誰でもできますに・・・・・いや、そうでもないか。僕は昔からこういうのんが得意なんですわ。子供の頃からずっと」

阪口君は1972年、松阪生まれ。
3杯目のコーヒーをカップに注ぎ、タバコをくゆらせながら話を続けます。

「僕は小学校のとき、一番好きやったのが図工の時間でして。たまらんのですよ。一日中、待ち遠しくてしょうがないんです。

今でもよう覚えてんのんが卒業制作。テーマがあって、100年くらいの歴史のある小学校やったんですけど、僕らのいた校舎は取り壊して改築することになってたんです。

だから記念として学校の模型を作ろうってことになった。で、全員ではできないということで何人かのメンバーが選ばれたんですけど、僕はその実行委員の中心となりました。ちゃんと実測もしたんですよ」

校舎の実測をしてしまう小学生はそれほど多くないと思います。数値の世界において、人一倍の大胆さと繊細さを兼ね備えた子供ですね。

「いやぁ、ほんまに細かい作業の連続ですに。でも、ちっとも苦にはならん。それどころか楽しくて楽しくて。これは建築に目を向ける前兆やったかもしれん。

そういえば、ほら、よくありますやん、新聞に折り込まれる賃貸アパートなんかのチラシ。子供の頃、あれの間取りを見るのが大好きでした。空間を立体的に想像したりして。モデルハウスの見学を疑似体験する様な感じで」

”ひぇ〜〜〜!そんな小学生、見たことも聞いたこともないよ”

「ははははは・・・・・・・。そんなことないですに、きっと1人はおったはずや!」

”そうか、ひょっとしたらいたのかもしれない。僕が知らなかっただけで。その後は?”

「ええ、それで中学2年のとき、よしっ、俺は設計士になるぞ、と思ったんです。というのもその頃、我が家を新築する事になり、親父がしょっちゅう図面をもって帰ってきてはなんだかんだと悩んだりしていたんです。あ、親父は設計士でもなんでもない現場の人間ですけど。

で、その図面が青焼図面なるもので、この青い図面がものすごく光って見えた。うわぁ、きれいや。これはおもろい、と。それで実際に家が建ち、初めて自分の部屋ができてからは、常にもっと居心地のいい空間にしようとなんやかんやと作っていく。

模様替えもしょっちゅうしてました。壁の色を変えようとペンキを塗ったら大失敗、なんて事もありました。とにかく、空間を作る仕事がしたくて。それが当時の僕にとって、設計士やったんです」

”僕には設計士の仕事はまったく想像もつかないけどなんだか凄そう!それでそれで?”

「そこで高校は建築関係の勉強ができる学校に進みたいと思いました。でも、隣町の津か伊勢にしかなかったんです。親父に相談したら、電車通学は絶対にあかんと言われましてね。で、松阪の工業高校にはいったんです」

”工業高校ということは建築科はない?”

「はい、機械科やったけどひとまず図面が書けると思ってそこにしたんです。建築の製図ではないけど、図面の書き方は同じようなもんやろうからって。なんせ、青い図面のあの世界に近づきたくて!

でもね、実際に授業が始まってみると、歯車やボルトなんかの製図が退屈でしょうがなかった。機械のことなんてまったく興味がないですからね。本当、図面の基礎が書けるようになった、というだけ」

”いやいや、立派だと思う。僕の高校時代なんて、バイク、裏町の大衆中華屋、あとはパチンコとエッチな雑誌を見るばかり。あ、僕と比べちゃいけないね”

「雑誌といえば大きな情報源の一つでしたね。でも、実際に買うことができるのはカジュアルなファッション雑誌みたいなもんだけですよ。専門誌は高価やから立ち読み専門。
でも、このファッション誌が大きかったんです。

ほら、たまに本の後半なんかにインテリアのページが載ってたりあるやないですか。ああいうのを見ているうちに、家具デザイナーってもんがあることを初めて知ったんです」

ネットや携帯電話のない情報が限られた時代ですから、みんなそれなりに趣味や夢はあるのだけど、いかにして気の効いた、なおかつ幅広く情報が載っている本や雑誌を見つけるかが鍵でした。

そして欲しい情報や写真を見つけると、想像が一気に膨らみ、人それぞれの夢がさらに巨大化していくのです。言うなれば夢見力って感じでしょうか。

「次第に家具デザインへの想いが強くなって、真剣に道を探る様になって行きましたね。でも、現実は甘くない。そもそも家具のデザイン学校の情報なんてものが身近にないわけですよ。通っていた高校にも前例が無かったらしく、苦労しました。

で、探した末に大阪のとあるデザインの専門学校に入学したんです。1年めは美術の総合的なことを学んで、2年めでインテリアデザインの学科を選択することができました。それが精一杯の行動だったなぁ」

”夢と現実はやっぱり違う。でも、そうであればあるほど力ずくでも距離を縮めたくなるのが若さというもの”

「そう!いよいよ卒業ってところで今度は家具デザインの企業が見つけられない。こんな言い方するとなんだけど、とりあえずこの建築設計事務所にでも就職しようかな、なんて思っているところがあって。

でも、そんなときに友達がある本をくれたんです。その名も“日本の家具作家図鑑”!
で、今度は”家具作家”という職業があることを知ったんです。中でも気になったのが京都のとある作家さん」

”確かに家具作家ってのは、聞いたことがあるようでそうでない言葉だね。すごく特殊な感じがする。それは学校では紹介してくれなかった?”

「学校からすれば、企業からの求人はあっても、個人でやっているような工房なんて管轄外って感じで。だから僕が個人的に、働かせてもらえませんかという内容の手紙を書きました。しかし2度送ったのですが返事はなかった。

あぁやっぱりダメか、なんて思って、他のところも探したんですけどどうも縁がなくて。で、やっぱりその京都の作家さんのことが気になって、もう手紙じゃなくて、見学だけでもさせてください、と言って直接行ったんです。

それでも、その作家さんは首を縦には振ってくれませんでした。もう、めちゃめちゃ忙しい工房で、即戦力じゃないと邪魔なだけ。人を育てている暇なんてないんですよ。

でも、そこの奥さんが勧めてくださったんです。”実際に忙しいんだし、これだけ言ってるんだから雇ってあげれば”って言ってくださって、それで僕はなんとか働くことができたんです」

こうして阪口君は、作家さんの奥さんのおかげで就職が決まり、勤務初日からそのお宅に泊り込んで朝早くから夜遅くまで働くことになりました。

工房は多忙を極めて、個人客のみならず、一流デパートでの展示会や地元イベントの準備など、常に同時進行している状況だったといいます。そんなだから、自分が住むアパートへもしばらく帰る事ができなかったそうな。

家具作家という職種を知ったこと、また実際に就職に至ることができたのは、友達や書物、そして何よりも彼の行動力だったということです。

しかし、21歳はいろんな意味でまだまだ若い。この後、阪口君はまた、まさかの行動に出るのでした。

その2へとつづく

『wood face』