工房『wood face』木工作家 阪口 孝生(特別編)

「木工作家への道のり〜その2」

なんとか憧れの作家さんのところで働くことができた阪口君。しかし1年後、彼は工房を退職し、なんと早くも独立に踏み切ったというのです。

場所は、三重県中部に位置する緑豊かな町、嬉野。山奥の小屋を借り、ひたすら木工作品を作り続けたのだとか。

「いやぁ、思い出すのも恥ずかしい話です。決まった売り先なんていないのに、とりあえず見てもらうための物を作ろうってね。ある程度揃ったら展示会をしよう、と。そんな次元。

もう変な自信だけあってね、計画性はまったくない。営業のこともなにもわかってない。で、半年後には貯金がなくなって材料も買うことができず、あっけなく撃沈

”まさに若気の至り!でも、情報ばかりを頭に詰め込んで現実が伴っていないよりは、そっちのほうが確実に身になると思う。体験に勝る理解はないでしょ。で、その後は?”

「ちゃんと資金を作ろうと思い、3年間だけと決めて、車関係の工場に一旦就職したんです。で、予定どおり3年で退社して、あの大宮の工房に通うことになったんですよ」

大宮とは三重県の旧大宮町のこと。2005年に紀勢町、大内山村と合併して大紀町に名前が変わりました。松阪から熊野街道(R42)を約35キロ南下したあたりの静かな里です。この大宮の街道沿いの「道の駅・木つつ木館」内にある木工所で、阪口君は家具作りを再開したのです。

すぐ隣には伊勢神宮内宮(皇大神宮)の別宮として名高い、瀧原宮(たきはらのみや)が鎮座しており、境内を埋め尽くす巨木の杉が有名。日本でも有数の雨量の多い地域ですから、周辺の山々の緑も深くてダイナミックです。

「道の駅・木つつ木館」は、ご当地の野菜や果物、数々の名産品を販売しているほか、小物から大きなテーブルまで三重県産の杉や桧を使った木工品が豊富なことでも知られています。

阪口君はここからの受注をベースに、個人の注文も徐々に増やしていきました。この当時から阪口君は夜遅くまで働き続けていました。工房付近は、昼間でも車の行き来がたまにある程度。日が暮れると周囲の木々から落ちる雫の音が聞こえてきそうなほど静かになります。

里全体がピュアな木々に包まれ、神秘的とも思えるほどの言葉にはならない安心感がありました。1998年から、気がつけば11年間もの年月が経っていました。

「そう、ほんまにロケーションなんかは良かった。ちょっと長く居過ぎたと言ったほうがいいかも。ただ、利便性の面でもっと町の方に工房を構えたいってずっと思ってて。で、あるときに今の大家さんから声をかけてもらったんさ」

それが現在の150坪以上もある工場と、この部屋です。

「大家さんはノコギリの目立て屋さんで、付き合いは10年以上。その大家さんが、元は製材所だったこの工場を買い取ったんよ。下取りとかで引き上げて来た工作機械なんかをストックする目的で。で、『この倉庫の一部を工房として使ったらどうや?機械も使えばいいよ』って言ってくださった!」

「僕が今使ってる機械はそれらをセッティングしなおしたやつです。まぁ本当、こちらの大家さんにはお世話になりっぱなしで、この方がおらんかったら今の僕はいませんね。ほんまに応援の気持ちだけでここまでやってくださってる」

大宮町から今の松阪の工房へ越したのが2009年のこと。以前の工房と比べると飛躍的に広くなったことから、今では飲食店などから一枚ものの大きなカウンターや椅子を一度に50脚などと、受注する内容や客層もどんどん膨らんでいます。

専門学校を卒業後、木工作家のところへ押しかけたり、何の計画性もなく独立してみたり、なにかと危なっかしい面もありますが、今となっては全部いい思い出。根が好きで始まっているのと、やはり阪口君の人柄が今を作っているのだと思いました。

また、ちゃんと認めて支えてくれるお客さんやファンがついてくるあたりがプロフェッショナルといえます。

「まだ駆け出しの頃、初めて1人の作家として認めてくれはったのが松阪にある『ハンキードゥリー』の多賀さんです。

前から多賀さんのことは知ってたんやけど、あくまで僕が客として店に遊びにいっていただけで、家具を売り込むつもりで行ってたわけやないんです」

『カフェ・ハンキードゥリー』は創業が1988年。松阪の中でいち早く、いろんな形で多様なカルチャーを発信しだした店として地元では知られた店です。

その店主の多賀尚さんに阪口君のことをいろいろと聞いてみました。

”いくら客だったとはいえ、何の実績を見ることもなく発注するなんてすごい勇気ですね。それなりの価格もするだろうし、ずっと残るものだし、普通なら慎重になると思うけど”

「確かに。でも、単に気心が知れてるから、というだけじゃなく、一番に、彼とは感性が合ったことが大きかったなぁ。そして丁寧さみたいなもんも感じた。ちゃんと客のことを分析する能力があるというか。

僕らは給仕するのが仕事。と同時に、音楽やファッションなどいろんな嗜好もある。その動きや感性をちゃんと掴んでくれてると確信できたから」

”それはつまり自己主張が過ぎないというか、人のことをちゃんと考えようとする姿勢をもっている、という感じですか?”

「そうそう。普通はお店なんかがインテリアを依頼する場合、自分自身のことを丸投げしてしまって、このデザイナー様になにもかも頼む!という感じになりがち。でもそれって絶対に違うよな〜と前々から思ってた。

デザインが先にあって、そこに使う側があわせるんじゃなくて、使う側のことをまっすぐに観察してから考えるデザイン、というのが本物のデザインやと思う。その上でオリジナリティを出せるかが職人の腕の見せ所なわけで。阪口にはそれを感じた」

多賀さんは『ハンキードゥリー』の隣で、『マンデー・ママ・マーケット』というファッションの店も経営しています。話の中で、ファッションもインテリアも、作り手と使う側の感覚がかみ合った分だけ価値が深くなる、としばしば口にしていました。

10数年の年月をかけて、店には阪口君の作品が溢れています。壁一面の装飾、4つの食卓、大きなスピーカーのスタンドなど。その中で、一番最初にオーダーしたのが、入口を入ってすぐ横にある、高さ3メートルほどもある大きなレコード棚です。

これを眺めながら多賀さんは話を続けます。

「ま、これが阪口の言う飲食店の仕事第一号なんやけど、納品されたときに見ただけで、ものすごい満足感があったんよ。そして実際に使っていくとその満足感は1.75倍に膨らんでいった。

レコードってものすごく重たいからよく棚が歪んでしまうもんだけど、それが一切ない。そして実に使いやすい。また、微妙なところに小技が利いていて、少しずつ阪口らしさが伝わってくる。メンテナンスも完璧やし。この辺こそが阪口の惚れ所やと思うわ」

元々インテリアが大好きで、いろんなブランドも購入してきた経験があり、今でも東京や大阪などにしょっちゅう見に行くという多賀さん。そんな多賀さんが阪口君の作品には「日本人らしさも感じる」と付け加えます。

「ぱっと見だけなら海外ブランドはよさそうやけど、実際に使ってみると多くは違和感がある。そもそも日本人と西洋人のスタイルは違う。例えば日本人は食事の時にほぼ全員が前かがみになるでしょ。でも、西洋人はみんな胸を張って、肘を付くことが少ない。そこんところを阪口はよくわかってデザインしていることは間違いないね」

さすがに目が肥えた多賀さんです。同じ阪口君の作品を使う側であっても、僕はそこまで気付きませんでした。おかげでまたひとつ深みを知りました。

多賀さんは最後にこんな言葉をくれました。

「彼の魅力は機能性の高さとツヤのある仕事。そして、どっかでみたことのあるような作品じゃなくて、まさにオンリーワンのものを作ること。そういう作家ってなかなかいてないと思う。

本当、1年に1回くらい、新作発表会でもやればいいのに。年代ごとに代表作をどんどん創出して行くと、阪口の個性がよく見えて、もっと面白みが伝わると思う。

誰かがこういったから、流行ってるから、じゃなくて、自分に正直であることにブレがない。それこそが本物でしょ。こういう人間が都市の媒体に出るべきだと思うなぁ」

客の話を真摯に聞き、何を望んでいるのかをとことん観察し、そこに自分の能力を全身全霊で発揮する、というのが阪口君の流儀。ましてや彼の場合は身近なところに住む客がメインだから騙しは一切ききません。

その積み重ねが本物の”つながり”や”絆”を育てています。10年、20年、そしてこれからもまだまだ時間がかかることでしょう。こうして得ていくものは目には見えないものですが、なかなか崩れることはないと思います。

ほんと、彼が作る棚や食卓とそっくりですね。

おわり

『wood face』