胡椒専門店『KURATA PEPPER』 倉田浩伸(中編)






「カルダモン山脈の風」

12月某日、午前6時。
泊まっていたホテルに倉田さんが車で迎えにきてくださいました。待望の胡椒農園へ向かって出発です。

首都プノンペンの喧騒から脱し、高い建物もまばらになってきた頃、ロードサイドにある一軒の朝食屋に立ち寄りました。

食べたのはクイティウというカンボジア定番の朝ごはんで米麺料理のこと。汁ありと汁なしがあり、このときは汁ありの豚ホルモン麺を選びました。

細い米麺で、脂分やアクをしっかりと抜いたホルモン、透き通った豚骨スープ。とてもあっさりとしていて美味しいです。量も日本のラーメンの3分の2くらいの感覚で、朝にぴったりの一杯でした。

再び一路西へ。1時間ほどもすると道は2車線から1車線になり、周囲は殆どが田園か野原。たまに万屋のような木造の建物か、地上1.5メートルほどの高床式家屋が目に入ります。

道は一応センターラインは書かれていますが、単にアスファルトが敷かれているだけのもので、歩道やガードレール、街灯なんてありません。側道は赤土が敷かれ、時折そこをバイクが砂煙を巻き上げながら走っています。そして遠くには牛車がのそのそと歩いている光景も。

ホテルを出て約3時間半。車が国道48号線に入ってまもなくしたら潮のにおいのする大河が現れました。数キロ先はもう海なんだそうです。この道をあと2時間も走ればそこはタイなのだとか。

まもなくして細い砂道に入り車のスピードは30キロほどに。どこからともなく鶏が現れ2羽、3羽・・・。あれ、今度は犬も1匹、2匹・・・。

数分後、ようやく目的地に到着しました。ふぅ〜。プノンペンから約160キロの距離ですが所要時間は約4時間。想像していたよりもはるかに長く感じました。

細い道にセダンの高級車、ぽんこつの自動車、オートバイなどが混在していることがその原因だと思われます。が、これこそがカンボジアと思える光景の連続で、実に楽しいドライブでもありました。

車を止めたのはホー・ブッティさん(以下ティさん)のお宅の庭。ティさんは『 KURATA PEPPER 』農園部門の責任者です。

外の気温は30度。今が一年で最も涼しい時期なのだそうです。年中暑いので特に夏という季節はないらしく、あえて言うなら雨季と乾季、酷暑期があるのだと。

ティさんの家は小高い丘の上に立っています。左側には沼地が広がっており、よく見ると200メートルほど先に、大きな角を持った二頭の牛が水に浸かっているのが見えます。

まるでお風呂にでも入っているかのよう。あぁそうか、水が好きな牛だから水牛というのか。なんてことを考えていると倉田さんの声が聞こえてきました。

「農園まであと1.5キロくらいあります。ここからは歩いていきましょう。さ、僕についてきてください」

そういって右手のほうの鬱蒼とした茂みの道を降りていく倉田さん。小さな池を越え、どこかの農家の畑の脇を通り、丘を越え、また茂みを抜け、どんどんと進んでいきます。

たまに立ち止まってみると、どこからともなく軽やかな風がやってくるのでした。汗だくとなった額がとても涼しい。ここはなだらかなカルダモン山脈の麓。(スパイスのカルダモンではないらしい)

ゆっくりと歩き出してから40分ほどが経ったでしょうか。ついに胡椒農園が現れました。
「ほら、あそこの斜面。これは1997年に始まった最初の農園。クラタペッパーの原点です!」

胡椒はまっすぐ上に向かって生えていました。尖ったハート型の葉が無数に突き出し、その隙間から小さなぶどうの房のように胡椒がぶらさがっているのが見えます。

生れて初めて見る生の胡椒。僕は感激してしまい、あっちにもなっている!こっちにもなっている!とまるで子供のようにはしゃいでいました。

が、ふと倉田さんを見るとなんだか浮かぬ表情をしています。どうしたのでしょうか。

「いやね、これって実はうまく行ってないんですよ。2,3年前まではもっと元気だったんです。ほら、お店に飾っている写真があったでしょ。あれ、ここの畑のものです」

”そういえばもっとふわっと横に広がっていて緑色ももう少し濃かったと思います”

「うちは完全なオーガニック。こちらでオーガニックと言えば本当に無農薬のことです。そして化学肥料ではなく牛糞を使った堆肥。いわゆる自然農法ですよ。

ここは南面の斜面なんですが、太陽に晒されすぎるのもよくない。周りを見てください。ばっさりと植物が刈られちゃってるでしょ?あれがいけないんです。ある程度、木々は置いておかないと。

それがほどよく日影を生み出してバランスが取れてくる。うちのティがなかなか自分のやり方を変えないんです。代々農家なんだから自分たちのやり方があるなんて言って」

この手の話は日本でもよく耳にします。多くの農家は、能書きよりも大切なのは経験と勘だとみんなが口を揃えてそう言います。

とはいえ、ティさん個人が農業に精通しているわけではないらしく、「2012年に亡くなったティさんのお父様が伝統的な農法をご存知だったわけで、途中から農業に転身したティはまだ勉強中」と倉田さん。

一見は皆が皆、古典的な農業をやっていそうなこの国において、実のところ胡椒は過去のものということでしょうか。ましてやオーガニック自然農法となると、それはある意味で先進国ならではの新しい志向なのかもしれません。

この国にはこの国の、日本とはまた違う壁がたくさんありそうです。

さて、次の農園へ移動します。コッコンにある農園はトータル5.8ヘクタール。東京ドームを一回り大きくしたくらいの広さがあり、何か所かに点在しています。

次に現れた胡椒は先のよりも3年ほど若いもの。比べ物にならないほど葉がふわりと立っていて、活き活きと精気がみなぎっていました。

「さっきとは全然違うでしょ? 胡椒は収獲できるようになるまで5年かかるんです。しっかりと土の養分を蓄えさせるんです。この房の中で一粒だけ赤くなったら収獲OKのサイン。この分だと来年の2月頃にとれるかな」

摘まんでみたら酸味とほのかな甘い香りも漂ってきました。
「胡椒って果実ですから」

”そうだったんですか!すごいっ、辛い胡椒が果実だなんて!!”

「ただねぇ・・・一時期は年間7トンの収獲があったんですが、最近は少しずつ減ってきて3トン程度。栽培方法にも原因があると思いますが、そろそろ畑の限界かもしれません。老化ってやつです。

でも、それにしても早いなぁ。ティのお父さんから20〜25年は持つと聞いていたんですけどね。先ほど見た最初の農園はまだ16年しか経っていません。やっぱり手入れが悪いんじゃないかな!」

と、そんな話を伺っているうちにどこからともなくバイクの音が近づいてきました。向こうから砂埃が舞い上がっているのが見えます。ぐんぐんとこちらに近づき、倉田さんの前で止まりました。

日に焼けた人のよさそうな笑顔で言葉を放つ、ノーヘル半そで姿の中年男性。この方が頑固な、いやいや農園責任者のティさんでした。

ちらっとこちらを見たので僕はとっさにご挨拶を。
「チョッ・・・?・・・チョムリアップ・スオー!」(こんにちは)
なんとか覚えたカンボジア語はこれとオークン(ありがとう)、マレッ(胡椒)だけ。

ニコッと笑顔を見せて、また倉田さんと会話を始めるティさん。なにを話しているのか僕にはさっぱりわかりませんが、なんだか朗らかな雰囲気に見えます。

ようやく話を終えた頃、何の話をしていたのかを伺うと「僕の話も一理あるネ、これからいろいろやってみるよ、なんてことを言ってます。本当かな・・・。まぁ結果を出すばかりが仕事じゃないですけどね。ここはうちの第一歩の農園だし。もうちょい様子を見ますわ!」

人情派ともいうべくフレンドリーな性分も垣間見える倉田さんでした。

そうこうしているうちにティさんが僕をお宅まで送ってやると言い出しました。ノーヘルのバイクタンデム(二人乗り)です。

おっと、それではありがたく、よっこらせ。ジャングルの合間の砂地をずるずると滑りながら、後ろでげらげらと笑いもってデジカメ動画を撮影し続ける僕は、12月の夏のノーテンキ。

はるか遠い国の胡椒の話。でも大のおとなたちが葛藤を繰り返しながら精魂こめて育てている姿は、日本の真摯な農家となんら変わりはありませんでした。

”わぁお〜すべる〜〜〜! ぎゃはははは・・・・!!” カルダモン山脈の風に抱かれて。

つづく

『KURATA PEPPER』