カエデほど無限の美しさで魅了する植物はないと思う。

料理写真家からカエデ研究者へ

料理写真家として活躍

料理写真家からカエデ研究者へ矢野正善さん、いえ、矢野先生と呼ばなくては。筆者はかつて矢野先生が料理カメラマンとして活躍されていた頃、2年近くお仕事をご一緒させてもらったことがあった。大阪で家庭料理といえばこの人、とまっ先に名前があがった故D先生のご指名のカメラマンが矢野先生だったのだ。数々の一流料理人が関西で撮るならこの人、と矢野先生を指名した。

料理は、料理人が粋をこらした瞬間芸といえる。盛り付けたときの凜としたかたち、色、鮮度、季節感、そして空気感。その見事さを写真にするには、料理人が表現したかった意図を、一瞬にして読み取り、構図や色調を整え間髪を入れずに撮る。高い技術はもちろんだが、趣旨を感じ取りどこにフォーカスするかという感受性や素養が求められるのだ。

矢野先生は、1935年大阪生まれ。「大和路巡礼」など奈良を撮り続けた写真家・入江泰吉のもとで住み込みの弟子として写真を学んだ。1年365日が仕事という厳しい毎日であったが、写真の基本を叩き込まれた。やがて関西の食の出版業界の重鎮から、料理写真の撮影を勧められたのがきっかけで、雑誌や料理本、専門書などの料理写真で活躍した。

一鉢のカエデに魅せられて
カエデの本

海外でも大好評の「カエデの本」

当時、先生は少年時代を過ごした奈良に住み、自宅の庭に料理撮影に使う木や草花を育てているというお話を伺った。その庭に、30数年前、知人から譲り受けたカエデの鉢が仲間入りしてから、先生の人生がゆるやかにカーブを切った。カエデは、一鉢ごとに葉の形や色、枝ぶりが違う。木によって、また同じ木でも季節や時間によって驚くほどさまざまな表情がある。なぜだろう。カエデの本を探したが、カエデの専門家は少なかった。

それからは珍しいカエデを探して野山を歩き、標本を作り、国内外の愛好家と種や枝を交換して栽培。次第にカエデの研究に没頭していった。その蓄積をもとに、2003年には日英対訳の名著「カエデの本~Book for Maples~」を自費出版した。栽培と研究とに裏打ちされ、先生の700枚に及ぶ写真から成る貴重なこの本は、全5000部のうち、3000部が海外の愛好家に購入された。いかに日本のカエデが海外で愛されているかがわかる。

幻の「玩槭庭」から夢のメープルパークへ

奈良の自宅の庭は、「玩槭庭(がんしゅくてい)」と名付けられていた。「槭」はカエデ、つまりカエデをもてあそぶ庭という意味だ。カエデの変異を知るためにあらゆる形態のカエデを育て観察したい。探求心が高じて200坪の「玩槭庭」は1300鉢のカエデであふれんばかりとなった。「こんな状態でよいのだろうか。カエデはもっとのびのびと生きたいのではないか」そんな思いが発端となって紡がれたメープルパークの夢。もうすぐ菟田野で花開こうとしているのだ。

最後に、2006年に菟田野に移ってからの出来事をご紹介しよう。そのアマチュアにして、誰もが認める丁寧なライフワークを讃えて、2008年には社団法人園芸文化協会より「園芸文化賞」が授与された。また同じ年に埼玉県の川口緑化センターで開催された、世界22カ国が参加する国際組織“メープル・ソサエティ”の「国際もみじシンポジウムin JAPAN」では、国内外の参加者約150名に日本のカエデの最新品種を写真で紹介するなどの活躍をされた。

玩槭庭(がんしゅくてい)玩槭庭(がんしゅくてい)
 
旧宅(奈良市内)の幻の「玩槭庭」

 

無私無欲。毎日、せっせとカエデの世話をして淡々と暮らす日々。矢野先生はきっと、カエデの精からバイタリティをもらっているに違いない。

 

(インタビュー:たなかむつこ 写真:十時弘史)

 

矢野正善さんプロフィール

1935年大阪生まれ。写真家・入江泰吉の弟子として写真を学び、後に料理写真家として多数の一流料理人の料理を撮影。雑誌や料理本、専門書などで活躍。そのかたわらカエデの栽培や研究に打ち込む。2006年、奈良市内の旧宅の庭「玩槭庭(ガンシュクテイ)」のすべてのカエデを当時の奈良県菟田野町(現宇陀市菟田野)に寄贈して転居。カエデの世話をしながら、日本一のメープルパークの開園準備にいそしむ。

 

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