日本一のメープルパーク開園をめざす人
矢野正善さん(奈良県宇陀市菟田野)
菟田野花き植木切り花研究会
〒633-2223 宇陀市菟田野宇賀志1935
TEL 0745-84-4760
E-mail:ma77ak36ml@kcn.jp
菟田野カエデ・モミジ資料・写真植物園
矢野さん(圃場管理人)のブログ
ずいぶん広い土地に、たくさんカエデが植えられていますね。
なぜ菟田野にメープルパークを?
日本のカエデは元禄時代から栽培が盛んになり、明治時代には200余りもの品種が輸出され、海外でも人気を集めていたんです。ところが今では、ヨーロッパの植物園やアメリカのオレゴン州など外国で大切にされているのに、本家本元の日本では秋の紅葉シーズンに眺めるだけ。本当のカエデの美しさに触れるチャンスが少ないため、知らない人が大半なのです。もっとカエデの素晴らしい美しさに触れてほしい。
そんな思いから、カエデの自然観光植物園の構想を温め、呼びかけてきました。名乗りをあげてくれたのが当時の菟田野町です。そこで、長年集めてきたカエデや、カエデに関する膨大なコレクションをすべて寄贈しました。私自身はカエデのアドバイザーとして最低限生活できればいいと。夢で終わりたくないことが夢だったのです。
すでに用地も決まっているそうですね?
設立には、廃校がよいと思っていました。運動場が駐車場や温室に利用でき、教室は講演やイベントの会場にできます。資料展示室や喫茶店、できればキャンプ場も作りたい。夢は果てしないです(笑)。幸いメープルパークの用地は、菟田野にある廃校になった旧宇太小学校に決まり、来年(2012年)はいよいよカエデを圃場から移植する予定です。
この小学校には、NHKの朝ドラ「あすか」の舞台になった古い木造2階建校舎があり、保存を望む声が多数寄せられていたので、カエデと校舎がいい眺めをつくり出してくれることでしょう。将来は菟田野が「カエデの里」となって、里山との共生の一つのモデルになればと思っています。
え?カエデといえば秋のものでは?
でも、よく春の桜と秋のモミジがセットで描かれていませんか?
「雲錦(うんきん)」と呼ばれる伝統的な図柄のことですね。春と秋が同居することから、オールシーズン使える柄だと言われてきました。たとえば器なら、向こうに桜(雲)、手前にモミジ(錦)が描かれていますが、そのモミジの色は必ず赤茶けたワイン色なんです。
僕は料理の写真家でしたから、色には敏感で、そのモミジの色が何となく秋らしくないことに引っ掛かっていたんです。あるとき、自宅の庭で、満開の桜の下に芽吹いたモミジの若葉が、正にそのワイン色!その光景を目にして、あの「雲錦」柄は、実は春爛漫を象徴する図柄なのだと確信しました。モミジを秋のものとした後世の思い込みが、誤った解釈を広めてしまったのですね。
ところで、カエデとモミジですが、それって同じもの?それとも別物?
僕への一番多い質問がそれですよ(笑)。答えは、カエデの中にモミジという種類があるんです。庭木として好まれる繊細なイロハモミジ、よく赤ちゃんの手に例えられますね。
それと、その仲間のオオモミジ、ヤマモミジの3種類だけがモミジで、いずれも日本に自生する紅葉の美しいカエデです。モミジはもともとカエデに限らず、桜モミジや草モミジという言葉があるように、草木の葉が赤や黄に変わることを表す言葉です。イロハモミジやその仲間は紅葉がひときわきれいなために「モミジ」と呼ばれるようになったのだといわれています。
カエデの葉って、いろんな形があるんですね!
では、カエデの仲間を見分けるポイントは?
野生の鹿はカエデの樹皮が好きなんですって?
カエデの樹液にはかすかな糖分があるので樹皮も甘いんでしょうね。各地の里山などで、鹿がカリカリと音をたてて皮をかじる姿や、樹皮の下からしみ出る樹液をなめるのを見たという声が聞かれます。メープルシロップはカナダや北米のサトウカエデ(シュガーメープル)が有名ですが、実は日本の野生のカエデからも気候が合う土地なら樹液を採集してできるんですよ。
現に埼玉県の秩父市では、イタヤカエデやヤマモミジなどからシロップやカエデ糖を作り、市の新しい名物としていろんなお菓子を作っています。
矢野正善さん、いえ、矢野先生と呼ばなくては。筆者はかつて矢野先生が料理カメラマンとして活躍されていた頃、2年近くお仕事をご一緒させてもらったことがあった。大阪で家庭料理といえばこの人、とまっ先に名前があがった故D先生のご指名のカメラマンが矢野先生だったのだ。数々の一流料理人が関西で撮るならこの人、と矢野先生を指名した。
料理は、料理人が粋をこらした瞬間芸といえる。盛り付けたときの凜としたかたち、色、鮮度、季節感、そして空気感。その見事さを写真にするには、料理人が表現したかった意図を、一瞬にして読み取り、構図や色調を整え間髪を入れずに撮る。高い技術はもちろんだが、趣旨を感じ取りどこにフォーカスするかという感受性や素養が求められるのだ。
矢野先生は、1935年大阪生まれ。「大和路巡礼」など奈良を撮り続けた写真家・入江泰吉のもとで住み込みの弟子として写真を学んだ。1年365日が仕事という厳しい毎日であったが、写真の基本を叩き込まれた。やがて関西の食の出版業界の重鎮から、料理写真の撮影を勧められたのがきっかけで、雑誌や料理本、専門書などの料理写真で活躍した。
当時、先生は少年時代を過ごした奈良に住み、自宅の庭に料理撮影に使う木や草花を育てているというお話を伺った。その庭に、30数年前、知人から譲り受けたカエデの鉢が仲間入りしてから、先生の人生がゆるやかにカーブを切った。カエデは、一鉢ごとに葉の形や色、枝ぶりが違う。木によって、また同じ木でも季節や時間によって驚くほどさまざまな表情がある。なぜだろう。カエデの本を探したが、カエデの専門家は少なかった。
それからは珍しいカエデを探して野山を歩き、標本を作り、国内外の愛好家と種や枝を交換して栽培。次第にカエデの研究に没頭していった。その蓄積をもとに、2003年には日英対訳の名著「カエデの本〜Book for Maples〜」を自費出版した。栽培と研究とに裏打ちされ、先生の700枚に及ぶ写真から成る貴重なこの本は、全5000部のうち、3000部が海外の愛好家に購入された。いかに日本のカエデが海外で愛されているかがわかる。
奈良の自宅の庭は、「玩槭庭(がんしゅくてい)」と名付けられていた。「槭」はカエデ、つまりカエデをもてあそぶ庭という意味だ。カエデの変異を知るためにあらゆる形態のカエデを育て観察したい。探求心が高じて200坪の「玩槭庭」は1300鉢のカエデであふれんばかりとなった。「こんな状態でよいのだろうか。カエデはもっとのびのびと生きたいのではないか」そんな思いが発端となって紡がれたメープルパークの夢。もうすぐ菟田野で花開こうとしているのだ。
最後に、2006年に菟田野に移ってからの出来事をご紹介しよう。そのアマチュアにして、誰もが認める丁寧なライフワークを讃えて、2008年には社団法人園芸文化協会より「園芸文化賞」が授与された。また同じ年に埼玉県の川口緑化センターで開催された、世界22カ国が参加する国際組織“メープル・ソサエティ”の「国際もみじシンポジウムin JAPAN」では、国内外の参加者約150名に日本のカエデの最新品種を写真で紹介するなどの活躍をされた。
無私無欲。毎日、せっせとカエデの世話をして淡々と暮らす日々。矢野先生はきっと、カエデの精からバイタリティをもらっているに違いない。
矢野正善さんプロフィール
1935年大阪生まれ。写真家・入江泰吉の弟子として写真を学び、後に料理写真家として多数の一流料理人の料理を撮影。雑誌や料理本、専門書などで活躍。そのかたわらカエデの栽培や研究に打ち込む。2006年、奈良市内の旧宅の庭「玩槭庭(ガンシュクテイ)」のすべてのカエデを当時の奈良県菟田野町(現宇陀市菟田野)に寄贈して転居。カエデの世話をしながら、日本一のメープルパークの開園準備にいそしむ。