とげぬき地蔵前、創業96年のパン店「喜福堂」。
4代目の金子摩有子さんに話を聞いた。
彼女の曽祖父が1916年(大正5年)、深川で開いた。1923年(大正12年)の関東大震災で被災して巣鴨に移ったという。
当時は「あんバタ」が大人気。
ドッグパンに切れ目を入れて、あんことバターをはさむ。
「あんことバター…、マーガリンだったと思いますけれど」。右手を滑らせて「エアーあんバタ」をしてくれた。さすが4代目、堂に入っている。
お客さんの目の前ではさむ実演で大人気だったという。1個30円だった。
あんパン、クリームパンは祖父の代から。
祖父・雅彦さんはもともと和菓子職人だった。あんこはお手のもの。カスタードクリームのレシピも祖父の配合のままという。
いまも手作業で牛乳2リットル分ずつ炊く。全卵と砂糖、バターが入る。甘さは控えめ、パンらしい。
きんつばや赤飯も人気だった。
へえ、パン屋さんなのに。
3日間かけて炊いたあんこの四方に生地を浸し、鉄板で焼く。父・房義さんが店頭で実演販売し、母の智子さんが箱詰めして売ったのだとか。
小学校に入学したら、隣のクラスの先生が喜福堂のきんつばのファンだった。摩有子さんを「きんつば姉ちゃん」と呼んでかわいがってくれたという。
小学4年のころ3代目の父が亡くなった。
私と同じだな。「考えてみたら一緒にいたのは10年足らずで…。短いですよね」。顔を見合わせた。分かる、分かる。
父は手書きのレシピを遺してくれた。
ロールケーキやバタークリームのケーキ…。バタークリームなんていいな、いまどきなかなか見かけない。ぜひ作ってほしい。
22歳で4代目に。
若くして後を継いだんだな。「後を継ぐとは考えていなかったんですよ」。摩有子さんは笑った。
祖父に習いながら奮闘した。午前4時から連日、工房に立った。
店休日の月・火は料理学校ル・コルドン・ブルーへ通い、製菓と製パンを習った。
「初めてやればできるんだな、と思った」。夢中だった。
フレンチトーストが大ブレーク。
テレビ番組で15年ほど前、取り上げられた。お客さんが殺到した。
真ん中は白いんだな。スポンジみたいに浸し切っていないけれど、両端は濃厚でプリンみたい。卵液がほどよくしみている。
「卵黄だけ使っているんですよ」。摩有子さんが言った。なるほどね。
工房を見せてもらった。
大きくて古そうなミキサーがあった。いかにも頑丈そう。「KANTO」製で、もう50年以上びくともしない働き者という。
いまでも祖父の替わりに店を支え、見守っている。
スタッフ7人、店主は駆け回る。
9月から乳製品が値上がりするのが悩みのタネという。近くに競合店もできる。
「あんパンをメーンに、どう店づくりをするか」。
家紋をアレンジした店のロゴを作ったり、木箱を使ったり、新作を試作したり…。
「イギリスレーズン」、ラムレーズンぐーるぐる。
レーズンは湯戻しせず、ラム酒に浸すから風味がいい。これでもかとたっぷり入っている誠実さ、いいな。
昭和が香るレトロなオレンジ色のトレーがあった。かわいいなあ、いいなあ。新しい店には出せない味があって。
摩有子さんによく似合う。勝手に応援し続けよう。フレーフレー。
フレンチトースト、1歳児をとりこに。
買って帰ったフレンチトーストを丁稚ケイに渡す。
握りしめていたかと思うと突然、むしゃむしゃかぶりついた。
えー、そんなに好きなんだ。おいしいんだ。
1歳2カ月のケイが言った。「お・い・ひー」。初めてしゃべった。
ええーっ、いま何て言ったの。思わずケイの肩をつかんだ。
「おひひー」「あいひー」。うわぁ、びっくり。
うーん、おいしい、なんだろうな。初めての言葉が「おいしい」か。ふふふ。
記念すべきフレンチトースト、作ってみよう。摩有子さんは快く教えてくれた。
☆喜福堂のフレンチトースト(4つ切り食パン1枚分)
4つ切り食パン1枚、卵黄1個分、砂糖22g(大さじ1と2分の1)、牛乳80g(大さじ5と3分の1)、粉糖(あれば)適量
1. 卵黄と砂糖、牛乳をよく混ぜる。
2. パンは耳を切り落として4つに切る。卵液に両面を5分ほど浸す。液をすべて吸い込めばOK。
3. 190℃に熱したオーブンを160℃に下げ、15分ほど焼く。ほんのり焦げ色がつくぐらい。
4. あれば粉糖をふってどうぞ。ジャムやメープルシロップを添えても。
<メモ>
・オーブンで焼くと外カリッ、内ふわっ、パンのおいしさの感じられる味わいになります。
・もちろんフライパンで焼いても。弱火で熱したフライパンにバター少々を溶かし、両面をこんがり焼きます。オーブンで焼くよりやわらかく、じゅわっとした感じに仕上がります。
☆メープルシュガーで作ったら
・砂糖22gを同量のメープルシュガーに置き換えます(大さじ2になります)。ほんのりメープルが香ってよくあいます。
・仕上げにメープルシュガーをぱらりと振りかけて。