母の旅立ち<中>

2010年1月、母撮影。雪の久留米2010年3月、母撮影。自分で描いた絵2010年10月、母撮影。太宰府天満宮2010年9月、母撮影。病室から2011年3月、誕生日祝いのケーキ2011年2月、母撮影。ユウとリョウ2011年9月、母撮影。生後3カ月のケイと初対面2011年11月、母撮影。岡山で曾祖母とケイ2012年1月、母撮影。岡山で生後6カ月のケイ

火曜夜、姉に提案した。

甥っ子ユウとリョウを母の見舞いに連れて行きたい。医師には「あと1、2カ月」と言われた。もっと会わせたい。

放課後は習い事や学童保育へ行く彼らが平日、病室を訪ねることは少なかった。

姉は言った。「急に毎日、来たら、お母さんヘンに思うわ」。そうかなぁ。

「徐々に、やっていくから」。徐々に、なんていう時間があるのだろうか。

私とケイだけなら姉宅から病院まで片道40分、歩いている。

でも小1の2人も連れて夕方、バス停まで歩くのもタクシーで行くのも大変そうだった。

水曜日正午、母のいる病院へ。

鶏レバーのショウガ煮を作った。

姉宅の台所でタッパーに詰めようとして止めた。味気ない。

サクラ柄のピンクの小鉢を引っ張り出す。3切れ入れて、千切りショウガを飾った。食べてもらえるだろうか。

いつもの609号室へ向かった。

入り口の名札に母の名前はなかった。あれ?ベッドが消えていた。どこだろう。

ナースステーションに近い「回復室」に移っている最中だった。

いつもはない心電図が目に入った。ドキッとする。

看護師さんが言った。「驚かせてごめんなさい、ちょっと血圧がね・・・」。

母が目を開けた。「来とったんかな。朝から、いとうて(=痛くて)」と言った。

ちょうど昼食が運ばれてきた。

「おかゆだけでも食べたら?一緒に食べて」。鶏レバーの小鉢を一応、お盆にのせた。

おかゆだけ少し口にしたが、すぐやめた。

「アイスクリームなら入るかなぁ」。

「ほんなら買って来る」。院内にあるコンビニへ向かう。

カップ入りのヴァニラアイスを買って引き返す。4、5さじ口に運んだ。

「あんた急ぐんじゃろ、もうええよ」。私を帰そうとした。

母を見舞った後、いつも生後1歳5カ月のケイを一時保育に託していたからだった。

「もうキャンセルした。ずっといる」。そう言った。

「ここ、どこ?」「回復室、前もいたところ」。

そんな会話をしていたら以前、同じ病室だったらしい女性が声をかけてきた。

「調子どんな? 私は明日、退院すると」。

「どんなって・・・」。母は黙ったままだった。

丁稚ケイがじっとできず、騒ぎ始めた。

母は「寝ている人もいるから迷惑がかかる」と言った。ちょっと席を外そう。

院内にあるコーヒーショップに退避する。アイスソイラテを飲み干した。

午後1時半、30分足らずで戻る。

母はまたいなくなっていた。

今度はICU(集中治療室)に移っていた。

「個室だから(騒いでも)大丈夫ですから」。

看護師さんに言われた。母は「でも隣に(患者さんが)おるんじゃないの?」と気にしていた。

気を紛らわせようと話をする。看護師さんが母に訊いた。「若いころ何してたとですか?」

「デパガしてたんですよ」。私が答える。兵庫・姫路の老舗百貨店に結婚する前、勤めていたと聞いていた。

母は自分で言った。「会社の経理をしていたの。長いこと」。

そうだった。30年以上、勤めて父亡きあと、女手ひとつで私たち姉妹を育てたのだった。

「そうか、それで、きちんとされとるとですね」。看護師さんが返してくれた。

午後1時半、事態に気付く。

当直の医師に「きょう、明日がヤマ」と言われる。「親類、呼んだほうがいいってことですか」。訊いた。「そうですね」。

面接室を出てすぐ岡山の叔母、姉に電話した。

午後3時半、姉が双子を伴ってやってきた。

心臓マッサージなどの延命措置はしないと決める。

甥っ子ユウがCDラジカセの電源を入れた。「やさしさに包まれたなら」「守ってあげたい」・・・なつかしいユーミンの歌、思わず口ずさんだ。

担当の看護師さんが帰る時間になった。

「きょう、髪が洗えんかったとですね。ごめんなさいね。明日、洗いましょうね」。

「お願いします」。母は目をつぶったまま言った。

午後7時半、叔母たちが岡山から到着した。

母はびっくりしたようだった。「起こして、起こして」。ベッドを上げるように求めた。

「みんなが来とるということは、もうダメなんかなぁ」。

難しいがんを告げられて2年、母から聞く初めての弱音だった。

叔母が泣き笑いになった。

「何ゆうとん、チカチャンが慌てて、電話してきただけじゃが」。

母はお構いなしで続けた。「さようなら」。

「カヨチャン、ありがとう」。同居していた姉に4回ほど繰り返した。

「チカチャン、ありがとう」。私にも1回、言った。

「痛い、もうええ」。長いこと言い続けた気がする。

木曜午前3時、ようやく落ち着いた。

見守る私たちも横になった。ベッドにすがりついたまま、丁稚ケイに母の左手を握らせる。

母のほおに口を寄せる。何度も何度もキスをした。

そのまま午前4時、母は私たちをおいて1人だけ、そっと旅立った。

「来とったんかな」。そう言って起き出しそうなのに。

「楽になったんじゃなあ」「もう苦しまんでええんじゃなあ」。叔母たちと抱き合う。7人で涙ぐんだ。

明日は髪、洗うって言っとったのに。おかしいなぁ。明日もあさっても、お見舞いに来るつもりだったのに。

「ごめんね」。何もできなかったこと、しなかったこと・・・謝り続けた。