2012年を漢字一字で表すと…「旅」。
って毎年か。いえ、もう無理です。来年6月、丁稚ケイが2歳になれば航空運賃は大人分、かかる。いまは1割負担で済んでいるけれど。ほぼ倍増、どひゃー。
時間制限って何よりのバネになる。子連れで飛んだ2012年を振り返ります。
1月 岡山、福岡、大阪。フライト〜4回
新刊「パリのおやつ旅のおやつ」を携え、せっせとイベント行脚した。岡山では実家に1週間、滞在した。
福岡の姉と暮らす母も同じころに戻って来た。家を建てたばかりで父が亡くなった。母が住宅ローンを引き継ぎ、一人で返した。
母が30年間、住み続けた文字通りの「我が家」だった。
「やっぱり、ウチが落ち着くなぁ」。母はホッとしたように言っていた。住んでいたころは「マンションのが管理してもらえてええ」などと言っていたのに。
11月に亡くなった母にとって、最期の生まれ故郷になってしまった。
2月 福岡、台湾。フライト〜4回
福岡、東京・狛江でも出版イベントをした。田園調布では「モンブラン研究会」を開いた。そういえばあれ以来、モンブラン、食べていないな…。
2月末に台湾へ。
姉と甥っ子ユウとリョウが一緒だった。大学院で学ぶ姉の研究旅行に便乗した。
中南部の都市・嘉義の呉鳳科技大学で大歓迎された。高雄からわざわざ「小龍包の達人」を招いてくれた。
先生は日本語で言った。「チカラ!チカラ!」。編み込むような芸術的な包み方だった。
台南では「上海好味道小籠湯包」の厨房に入った。丁稚ケイを抱っこしたまま「粉もんレッスン」させてもらった。
帰る日の桃園空港で青ざめる。姉のパスポートを持ってチェックインしようとした。
痛恨の「台湾取り違え事件」として後世まで語り継いでしまいそう。
3月 北京、岡山、ニューヨーク、モントリオール、シアトル。フライト~7回
北京の粉もん名人に弟子入りした。
中国語教師の楊先生が水餃子と肉まん、花巻を作ってくれた。
北京から戻って1週間後、岡山へ。母校・岡山朝日高校で講演する。
講演の数時間後に羽田便に乗る。都内の住まいで荷造りし、20時間後には成田からニューヨーク行きに乗った。
24時間以内だと国内線が乗り継ぎ扱いになり、安く乗れるからだった。それにしてもよくやったわ。「綱渡り旅強化月間」だった。
反省しないのも芸のうち、じゃー。
ニューヨークでは女性ばかりの「メープル・シュガー・ハイク」に参加した。
でも樹液の流れる「シュガー・シーズン」は10日前に終わっていた。例年だと4月ごろまで続くと言うが、今年は3月半ばで終わっていた。
ニューヨークは20℃を超え、3月下旬とは思えぬ暖かさだった。仕方ない。
モントリオールで真冬に舞い戻った。
大にぎわいの砂糖小屋でケイと2人で凍えそうだった、いろんな意味で。
旅は会いたい人のいるところ、縁があるところがいい。それが分かったから、やっぱり行ってよかった。
4月 シアトル、サンフランシスコ。フライト〜2回
シアトルから再び、出会いがてんこ盛りだった。
20代手芸女子にクリーム・スコーン、60代の建築家にショートブレッド、アラフォーの双子ママにチョコチップクッキーを習った。
湖の見える自宅で穏やかに暮らす98歳のおばあちゃまの、シンプルで強い言葉に触れた。
帰国してから時を超えた縁まで見つかった。
ケイの高祖父は明治時代、「女子教育のための何か」を求めて単身、鳥取から渡米。
シアトルで洋裁と出会い、帰国後はパターン付き教本を何冊も出版した。
開国まもないころ、志ひとつで海を越えたんだな。熱いよ、すごいよ、無謀だよ、ひいひいじいちゃん。
サンフランシスコで大団円を迎えた。
また訪ねたい。また来ます。大声で叫ぶ。
だって私たちは出会っちゃったのだから。
☆楊先生のミニ花巻
材料(8㎝×6㎝、8個)
薄力粉 100g、ドライイースト 小さじ 2/3(2g)、ベーキングパウダー 小さじ 1/2(2g)砂糖 20g、ぬるま湯(40℃)40g、すり黒ごま 大さじ1、黒糖 大さじ2
1.薄力粉、イースト、ベーキングパウダー、砂糖、ぬるま湯をボウルに入れる。5~6分よくこねる。
2.まるめてボウルに入れ、ラップをする。温かい場所に1時間ほどおいて発酵させる。1.5〜2倍になればOK。
3.長方形にのばす。すり黒ごま、黒糖をまんべんなく散らす。
4長辺を巻きずしのようにくるくる巻く。
5.1.5㎝幅に切る。
6.2つを並べてくっつける。
7.ラップをして温かい場所に置く。30分ほど。
8.よく蒸気の立った蒸し器に並べる。強火で7〜9分蒸す。アツアツをどうぞ。
☆メープルシュガーで作ったら
黒糖をメープルシュガー大さじ1に替えます。もちろん、おいしい!ちょっと溶けたころがたまりません。