インドカレー『SOL』 店主 吉田光寛(前編)

吉田さんの相棒タンドール。2010年12月撮影焼きあがったナンにバターを少し。2010年12月撮影車よりも自転車や歩行者の交通量が多い。2010年12月撮影ナンを持ち帰る客もめちゃ多い。2011年1月撮影サクサクとした歯応えのナンは珍しい。2011年1月撮影持ち帰り客用のベンチ

「日本人のタンドール職人が作るナン」

吉田光寛さんとは実に不思議な縁でつながりまくっていまして、そりゃもういったいどこから何を話せばいいのか迷ってしまうほど。ええっと気を落ち着かせまして、まずは店名からご説明します。

店名を「SOL」と書いて「ソル」と読みます。よく、スペイン系の店と間違われるようですが、「スパイス・オブ・ライフ」の頭文字をとったとのこと。正式には「インドカレーSOL」。

ですが、僕はこちらを「タンドール処SOL」とか「エーオーアーラーSOL」などと呼んでいます。後者はAOR愛好家の意味でして、AORとはアメリカあたりのクールで格好いい大人の音楽のこと。ロックみたいにうるさいのではなく、ジャズみたいにしっとりしておらず、ポップほど軽くない。はい、吉田さんはミュージシャンでもあるわけです。ただ、これについてはいずれということで、今回は前者について語ります。

最近のインド料理ブームもあってご存知の方も多いかもしれませんが、一応タンドールとは何ぞや、という話をします。それはインドで使われている壺窯のこと。ええ、あのモチモチ食感のナンや、香ばしくてジューシーなタンドール(タンドリーとも言う)チキンなるものは、この壺窯=タンドールで焼いたものです。

燃料は炭で、深い壺になっているので熱がこもります。その壺の壁面にナン(インドのパン)をはりつけたり、鶏肉やマトン肉などを突き刺したシーク(1mほどもある長い金属製の串)を立てかけたりして焼き上げます。

インドの中でも北部に多い道具ということですが、近年では南部の都市部や、そこそこ高級なレストランなら置いているようです。

で、このタンドールで焼いた料理が半端じゃないくらいに美味しい。遠赤外線がどうとか、炭のなにがしがどうだとか、そういう理論的な話は雑誌やネット(あ、これもネットか)におまかせして、ここでは「SOL」におけるタンドールについてのお話しをします。

「SOL」のタンドールで焼くナンとチキンは、踊りだしたくなるほどウマイです。ナンは自転車のサドルよりも一回り大きいサイズ。ふっくらとしており、手触りはさらりとしています。食感はサクサクとしており、ほんのりと甘く、しつこさがないのでぺろりと平らげてしまいます。

一応、一般的なナンを言いますと、最近は僕のような大きな顔(ちなみに帽子は58センチできっちきち)よりもさらに大きなもの、そしてコシが強いものが主流です。手に持ってみてもどっしりと重みがあり、バターあるいはギー(インドやネパールの濃厚なバター)がたっぷりと塗ってあるので手がベタベタになります。味は、甘いもの、甘くないもの、酸味のあるもの、ないものなど、店によって様々です。

材料は白い小麦粉がベース。ほか、ヨーグルトや油、砂糖、イーストなど、いれるものも分量も店というか、コックによって違います。

「SOL」のナンは、時系列的に変化はしているものの、基本として、さくさくで口当たりがライト、そしてほんのりと甘い。それでいて1枚200円の安さ。さらにすごいのが、2枚目以降は100円だから、気持ちも緩んでなお美味しくなっていく。

形、味のみならず、この価格帯とシステムも、通常のインド料理店では考えられない斬新極まりないアイデアです。一昔前までならナン1枚がだいたい500円前後。最近でも400円はするんじゃないでしょうか。

僕は「SOL」のやや小ぶりなサイズがちょうどいいので、そのまんまを気に入ってる派ですが、中にはすし屋かそば屋みたいに、2枚、いや3枚などと、じゃんじゃん注文する者もいます。ま、それでも400円なんですけどね。

さらにさらに「SOL」がグレイトなのは、テイクアウトを設けたこと。昔からやっている店はあるんです。しかし、こちらはどの店よりもそのイメージがしっくりとくる。
店の前はR171号線。これは、大阪中心部を通ることなく、京都〜大阪北部〜兵庫をつなぐ西国街道という、昔は大名や僧侶、商人が行き交った大動脈です。

といっても、国道は「SOL」の200m東から大きなカーブを描いて高架となっており、「SOL」の前の道はその大通りからはずれた片側一方通行の道。一応、これがR171の本道なのですが、誰がどう見たって側道にしか見えない。

実は僕はこのあたりにはなかなか詳しいのです。20代の時にはバーを開業したり、つい数年前はキッチンオフィス(スパイス料理研究所club-THALI)なるものを作ったのもこの近所でした。

だから、ここがいかに難しい場所か、ということをよく知っているほうだと思います。実際「SOL」が開業(2007年)するまでも、その後も、この通りは何にもないような、地元の方にはちょいと失礼ですが、決して商業が栄える気配はなかったと思います。

そこに吉田さんは奥さんの径子さんと共に店を作った。狭い間口で、灰色のトタンに白いペンキで「SOL」と書いただけ。眼球の回転だけは自信がある僕でさえも、最初の1年間はしょっちゅう前を素通りしてしまっていました。それくらい目立たないし、店があるとイメージしやすい場所じゃない。

でも、来るんです。はい、今では雑誌(最初にネタとして紹介し記事を書いたのも僕ですが!)にも時折でるようになり、遠方からわざわざやってくる客も多いようですが、最も見逃してはいけないのが地元客の存在です。

営業マン風の男性、作業服姿の男性、近くの学生、後ろと前に子供用シートをつけた自転車に乗った若いママ、買い物に行く主婦など。いわゆる食べ歩きなどのイベント的な人ではなく、生活の線上という日常的な人が殆ど。というか、元々それしかいなかった。

でも、いまやそれこそが難しいといわれる時代。多くの飲食店がイベントを繰り返しては、声を上げて集客に励んでいます。でも「SOL」は余計なことは何もしゃべらない。

実際、吉田さんという人は殆ど人と話しません。いや、正確には忙しいのであります。それがタンドール職人たる部分。

インドは分業制というのもあってか、タンドールをやる人はタンドールだけをやり続けるといいます。中にはカレー作りは苦手という職人もいるほど。在日のインド人などは、日本に来てから慌ててカレーを勉強する者もいるし、逆にカレーしかできなかったけど頑張ってタンドールも出来るようになった、というタイプもいます。

先から簡単にタンドール職人などと言っちゃってますが、実はこんな職人はつい数年前まで日本にいませんでした。少なくとも2009年の春前の僕が吉田さんと初めて出会ったときは、東京にお一人のみ、だったと思われます。もちろん、趣味じゃなくて職人です、プロの次元です。

今ではどうなのかよくわかりませんが、おそらく増えていても数人ってところでしょう。それくらいタンドールを使いこなせる日本人というのは希少なのです。実はコストパフォーマンスなんかよりも、これこそが「SOL」のセールスポイントであり、トピックであり、日本におけるインド料理界の革命であります。いや、大げさじゃなくマジで。

何度聞いたって本人は「やれば簡単。誰でもできますよ」なんて軽く話しますが、そもそもこんな大きくて熱いものを購入するには覚悟が要る感じがする。

実は僕もその昔、三重県松阪でインド家庭料理食堂「THALI」をやっていた時代(1998年頃)、タンドールを購入していました。でも、インド人からインド人手製のものを買っていたことで余計に面倒になって、また今度、なんてことになり、ずっと表に放置したままでした。

面倒の理由は色々あります。ひとつはインド人から買ったから!(笑) 誰が見てるかわからないので下手なことはいえませんね。早い話が不良品だったのです。いや、正確には不良品になってしまった。

ちょっと熱をいれただけで内側にヒビが入ってしまったのです。タンドールは熱を閉じ込めてこそのものです。熱が上がらないようでは、調理が出来ません。その辺のドラム缶にインドで拾ったような壺窯を突っ込んで適当にセメント流し込んだだけ、といわんばかりの品ではどうにもなりません。やられました。

今では日本製でいいのがあると聞きます。中には熱源がガス、ガス+炭、というのもあって、熱の調整が簡単になっているようです。とはいえ、やはり特殊だし大きな道具なので、他にもいろいろ知っておかねばならないことが多々あります。

このようにタンドールを持つことさえも面倒な上に調理も面倒なのです。チキンは何とかなってもナンがたまらないのであります。チキンはインド製のタンドールチキン用ブレンドスパイスというものがありますから何とかなります。(注意=SOLでは使っていないし、他の店もみんなが使っているわけではありません。安直にインスタントなどと思わないでくださいね)

でも、ナンは自分で仕込まなきゃいけない。これがしんどいのです。一度に何キロものたくさんの小麦粉を使うし、なんだかんだと材料を合わせなきゃならないし、こねるのが一苦労だし、指と指のあいだには生地がつまり河童の手(?)みたいになるし、大きな容器は必要だし、重たいし。

なんでもそうですが、おいしいものを作る上で最も大切なのは、レシピや食べ歩きではなく、ただひたすらに体力だと僕は体験からそう思います。

このように、知れば知るほど、タンドールは手強いのであります。そんなものを操り、それで飯を食い、子供たちを養っている(最近二児が誕生!)吉田さんはやっぱり凄い。あ、お嫁さんの径子さんも凄い!(家族の話は最終回にしましょう!)。そこんとこを尊敬してしまいます。

次回は、タンドール職人・吉田さんの仕事ぶりに肉迫します。 つづく。

普段は忙しくて寡黙な吉田さん。2012年9月撮影

『SOL』

国道171号線沿い、といっても箕面から石橋方向へ向かう側道のような道沿いにあるため、なかなかわかりにくい。目印は焼鳥屋の赤い看板。カウンターのみ6席の狭小な店だが、テイクアウトが可能なのでそちらも人気。ナン1枚200円、同一客による2枚目以降の注文は100円。カレーはチキンと野菜がメインで各300円という驚きの安さ。「ナン1枚とカレー」、あるいは「ナンとカレー10ずつ」など、客の買い方も様々なのが印象的。週によってはポークやバターチキンマサラ、チキンキーマなどのゲストメニュー(500円〜)が加わることもある。少しばかり営業時間が遅れたり、急に休みになったりと、店の立ち方も寛大でゆるやか。

「ナンもう一枚!」などという客がかなり多いのですが、それを見るたびに僕は蕎麦屋の「ざる一枚」を思い出して仕方がありません。オイルや糖分は控えめ、さくっとした歯応えでありつつもライトな食べ心地。これぞ日本人のなせる技ですね。ライス(200円)もあります。

●大阪府箕面市瀬川5-2-17オオトリビル1F
12:00〜15:00 18:00〜21:00 月・火曜休み 阪急宝塚線「石橋」駅から徒歩7分
近隣にリーズナブルなパーキングあり。石橋駅からの場合=東口〜R176高架をくぐる〜右折すぐの予備校の角を左折〜線路沿いの道を進みR171瀬川5丁目交差点を渡ってから左折〜180m先右手