丹乃國蕎麦『拓朗亭(たろうてい)』 店主 矢田昌美(特別編)

矢田さんご夫妻魔性のざる蕎麦(2012年11月撮影)掘りごたつの座敷もある。さてどんな寄席が始まるのかな。蕎麦創作料理の一例。①フェットチーネ②クリームコロッケ③田楽味噌④蕎麦がきとカレー蕎麦創作スイーツの一例。①ゴマ団子②アイスクリーム③シフォンケーキ④シャーベット蕎麦あれこれ。①温かい生粉打ち蕎麦②穴子の天ぷらと辛味大根おろし③フランス・シャラン鴨を使ったゴンベイ鍋④塩で食べる粗挽き蕎麦 2012年のある日の一句。

「蕎麦以外の噺」

恐れ多くも、職人味術館で3話に渡って、関西の生粉(きこ)打ち蕎麦(いわゆる田舎蕎麦とはまったく違う、洗練されたつなぎなしの蕎麦のこと)の幕開けとなった、『拓朗亭』矢田さんの道のりを書かせていただきました。

そして最終回となる今回は、蕎麦以外での矢田さんの人柄について。いわば落語で言うなら前座というところでしょうか。寄席では先に前座があって最後を真打(*1)といいますが、ここでは先に生粉打ち、最後に前座というわけです。

(*1)真打=落語の世界で最後に出てくる主役。

さっそく、思いつくままにキーワードを上げながらお話しをいたします。

一つめは「駄洒落」です。『拓朗亭』ファンなら誰しもが「あぁ、あれね」と思い当たることでしょう。目からじんわりと効いてくるところが、矢田さんらしさを感じさせます。

常に世相を絡め、ちょいと風刺的。たとえばこんな感じ。
「米海兵隊 沖縄に コスプレイ配備」
「益少ならシャープ!!ウチも負けてはいませんが」
「北の かなり イヤ〜ンな人たち」
(すべて2012年に実際に書かれた言葉)

ちなみに2012年11月20日時点の最新版はこれ。
「野駄総理 政権のへきれき!!」

矢田さん曰く「置き看板の過去のモノで最優秀賞モノ」が
「愛と 死を煮詰めて」
(これ、世代的に僕にはちょっと難解)

これらを思いつくごとに店頭の置き看板に書いてしまうのです。新しいお客なら「なんだこりゃ」。常連客なら「今日は何?」とまるで日替わりランチの気分で。さらに国道9号線を行くドライバーの中にもファンが潜伏している模様。
「しばらく書き換えないでいると”そろそろ新しいのに…”などという電話をいただいたこともあります」

ほか、メニューではこんなコピーがしばしば見受けられます。
「ヒデキ感激、王子卒倒!!インド人も久々にびっくり!!拓朗亭が大人のための”大人のカレー”を作りました!!*ご注意 子供さんにまったく不向きです」
語調よく、切れ味良好なところがなんだか小咄風。

言葉作りのセンスが豊かで、常にツボを得ておられるところがまた矢田さんの懐の深さを感じます。実は矢田さんは学生時代に落語研究会にはいるほどの落語好き。尊敬するアーティストは吉田拓郎と並び、今は亡き桂枝雀といいます。

蕎麦を食べる前に、心のストレッチができます。

二つめのキーワードは「神社」です。といっても小さな祠で、店から見て駐車場を挟んだ向こう側にあるこじんまりとした社のこと。

なにやら、前の借主は実に不衛生で、店は手もつけられないほど汚れていたそうです。また祠の周辺も雑草が茂り、ゴミの掃き溜めになっていたとか。

祠から店までは見た感じでざっと20mほどの距離。国道から見ると祠が奥側に位置しており、近所に住む人にしかその存在は絶対にわからないような、どちらかというと陰の雰囲気でした。

矢田さん、そして娘さんのさや香さん曰く「あそこの神様が怒ってるんです。ちゃんと掃除しろって」。ななななんだ!それってスピリチュアルってやつ!?欲に溺れた僕の耳には響いてきませんが、どうやらそういうことで、とことん掃除をしたのだと。

しかし蕎麦という食べ物は、しばしば仏や神の世界とつながることが多いです。五穀以外の作物だったことから、かつての修験者は蕎麦の実をもって”行”にでて、各所に種をまき、大きくなった蕎麦を食料としたという話は有名です。

実際に京都の寺などでは、職人を呼んで蕎麦を打たせる寺が数多くあります。さらに、霊峰と呼ばれる山々の麓などには必ずといっていいほど蕎麦屋が存在し、客のみならず僧侶や神職なども贔屓にしていることが多いそうです。

ただ、矢田さんの場合は、参道に店を構えて集客するのではなく、寺へ出張して僧侶に提供するのでもなく、見た目には小さなただの祠に奉公しているのであって、人を相手にやっているわけではない、ということが他と決定的に違うところです。ひと言で言えば、現実的には利益は望めない。

ようするに矢田さん一家は、何よりも「徳」を大切にされているのだと思いました。

そして、三つめのキーワードが「仲間」。矢田さんはずっと前から「唐変木蕎麦之曾」(トウヘンボクソバノカイ)という蕎麦屋コミュニティを主宰されてます。

現在13軒の蕎麦屋が名を連ねており、筆頭は京都の上賀茂にある『じん六』で、蕎麦の生産者との交流や開拓を共にしてきた矢田さんの盟友です。

そして弟子の筆頭格が、兵庫県篠山ののどかな田園にたつ『一会庵』。築200年以上の茅葺の家屋の中で、田舎風情と共に洗練系の生粉打ち蕎麦が楽しめます。次に、天橋立にほど近い小町公園に店を構える『歌仙』。脱サラとはいえ安定感のよさを誇る大阪府羽曳野市の『乾』などが続きます。

2012年に仲間入りしたのは、某有名調理師学校を退職し、日本有数の観音霊場である長谷寺の参道で蕎麦屋として新たな人生を踏み切った『たむら』。

実家が元々蕎麦屋だったという若手『東風』(大阪府・茨木市)もいます。彼は二八蕎麦を信条とする某有名蕎麦屋で修業を終えるも、その後に生粉打ちに目覚めて矢田さんを親分のように慕うようになりました。

みなさん、門下生とか、信徒ではありません。ロケーションや造り、蕎麦のスタイルなど、何もかも違った個性的な面々です。

同じコミュニティだからといって、『拓朗亭』から仕入れやロイヤリティを要求されるとか、団子になって他を圧倒するとか、そんな私利私欲を満たすための関係ではありません。とにかく縁を大切にしていこう、という”つながり”なのです。

「みんな各自が独立しているわけですから、共生はあっても強制はありえませんね。そりゃ指導や相談には乗りますけど、一方通行ではなく、お互いが助けあえる関係なんです。だから僕だって彼らから学ぶことはたくさんあります」

ちゃんと自立した者同士が、肝心なときに支えあえる関係が素晴らしいです。

さて、最後に四つめのキーワード。それは「創作」です。矢田さんの奥深さやユーモラスなところが最も溢れる舞台ではないかと僕は感じています。

まず、言いたいのは「蕎麦がきのカレー」。矢田さんが練った蕎麦がきに、僕が作った骨付きと挽肉の2種類のチキンカレーをかけた”なんじゃそりゃ?”な一品です。

そのときのカレーは、タマネギとトマトのグレイビーに独自配合したスパイスを組み合わせた、インド式のシンプルなタイプ。とろみが少なくさらっとしていて、辛みは控えめなものでした。

そして蕎麦がきは、なんと信州のお焼きのように一度焼きをいれたものでした。表面はつるるん、そして微妙にさくっと香ばしい。でも、ひと噛みすると、もちもち。

つるん、香ばしー、さらさらカレー、の繰り返し。これが想像を超えた斬新な美味しさでした。
「まぁ、あれは何も考えずに適当にあわせただけ」なんて矢田さんはおっしゃいますが、そういう無邪気なところに美味の神は舞い降りるということは、やはり矢田さんには技術や知識を越えた何かがあるのでしょう。

矢田さんが作ってきたメニューは数え切れません。オムレツ、精進揚げ、手打ちフェットチーネ、クリームコロッケ、チヂミ、田楽味噌、つくね・・・・・。これらはすべて蕎麦を使った創作料理です。

スイーツも半端じゃありません。蕎麦焼酎のシャーベット、蕎麦プリン、蕎麦シフォン・・・・・。娘さんのさや香さんと共同で作ることも多いそうです。

最後に特筆すべきは、天ぷら!これを売りにしている蕎麦屋は少なくはないですが、矢田さんのそれは個性が際立っています。

海老が大きいとか、穴子なら一尾丸ごと、というのも特徴的なのですが、何よりもその衣の細かさと、衣の粒のつながり具合、繊細なサクサク感、そしてこんがりとした香ばしさがたまりません。

この華麗なまでの美味しさと食感に、こっそりと他の店の人たちも勉強にきていたりする逸品。やはり、蕎麦のみならず、ここにも巧みな技が隠されています。

僕などは通いだして16年ほどが経った今でも、ざる蕎麦とおろし蕎麦の間を右往左往しています。はやく、蕎麦を楽しみ尽くしたい! いや本当、たかが蕎麦なんですけどねぇ。

以上のように矢田さんの芸は、実に多彩で味わい深く、バラエティに富んでいます。『拓朗亭』はまるで演芸場のよう。そう言うと矢田さんは照れくさそうにこう言いました。

「いやいや、僕はあと3年でもう60歳になります。これってお勤めの方なら定年退職する頃ですか。さすがに体力の衰えを感じています」

”それでも、矢田さんのことですから、また新たな夢や目標もあるんじゃないですか?”

「いや、瞬間勝負で生きてますから、よくわかりません。そうですねぇ、次は天丼屋とか!? ま、60歳を越えたら、ちゃんとした蕎麦屋をやりたいなぁとは思うてます」

おあとがよろしいようで。

                                    おわり

『拓朗亭』