ハーブ『大原農園』(沖縄) 大原大幸(中編)

短いほうは今シーズンの最高と最低の気温 ハウスで作業するお二人。「ひゃ〜今日は化粧してないから撮らないでぇ〜!」(多美子さん) 高さ30センチほどの若いバジルがずらり! 沖縄ではパパヤーを食べると母乳がよく出るともいわれ重宝される
農林水産省の防疫検査を経た後、空港へ持ち込む。とにかく忙しい台風被害の後、少しずつ復興している畑
このハウスの中はぜんぶバジル。見晴らしのいいほうの畑 大幸さんの車で畑から畑へ移動。両脇はサトウキビ畑海が見える丘の上でパパヤー(パパイヤ)も栽培。こちらも手当てが必要

「ハーブ農家の理想と現実」

2012年の夏、例年にないほどの猛烈な台風が幾度も襲来した沖縄。大原大幸さんは荒れ果てた農地を少しずつ修復し、こつこつとできるものから栽培を再開していました。

コンテナ納屋の中で、朝に収穫したばかりのバジルを20gずつパック。それを終えて、今度はコンテナのある畑から300mほど離れたところにある畑で、まだ30センチほどの若いバジルに水を与えています。

それにしてもハウスの中は温かいし、バジルの香りが溢れているし、これはまるでバジルの軽いサウナのようで最高にいい気分です。温度計を見ると32℃。これ、11月中旬の午前中の気温です!

この温度計は今年の最高気温と最低気温がわかるようになっているのですが、最高は47℃、最低が13℃。11月頃からだんだん夜の温度が下がりだし、1、2月が最も寒くなるといいます。

「意外に沖縄の冬は寒いんです。コタツやストーブも出しますから。しかし昼間はあったかい。ようするに昼夜の寒暖の差が激しくなっていくんですね。だから、沖縄の野菜の旬は冬なんですよ」

”そういえば全国各地の農家の方が口を揃えたように言いますね。昼夜の寒暖の差が激しいからこそ美味しい野菜ができるんだって。そうか、沖縄の野菜の旬が冬って、面白い話ですね”

「そう、だからいまやこれだけ物流が発達してますから、真冬の内地(*1)で美味しいトマトとほうれん草なんかと寒ブリや牡蠣が同じ食卓に並ぶことはありえますね。ハーブにしても、バジルなんかは暑過ぎてもダメで、ちょうど今頃がいい季節なんですよ」

(*1=内地、ナイチ・・・・沖縄の人がよく使う言葉で日本本土をさす)

”しかし見渡す限りバジルですね。他のハーブはハウスの中ではやらないんですか?”

「う〜ん、はっきり言えば、これでも足らないくらいなんです。でも手が一杯。繁忙期だと1ヶ月で450〜500kg、1日あたり20kgほど収穫するんですが、それだけでも4、5時間。それからまたパックや箱詰めが延々と続くわけで、深夜から日が暮れるまで働きづめになってしまいます」

”素人目には、2000坪以上もの敷地とハウスが10本もあればもう十分なんて、単純にそんなイメージがあるのですが”

「と思うでしょ?本当に農家って儲からないんですよ。だから、今まで国もいろいろとサポートしてきたんでしょうけど。ましてや、うちはニッチ(*2)なハーブ農家だからますます利益が無い!」

(*2=ニッチ・・・・英語で小さなくぼみ、隙間という意味。適所というニュアンスもある。日本では経済用語として隙間産業という意味でよく使われる)

”ハーブと野菜じゃ、そのニーズの差は比較にならないでしょうね。考えてみれば確かに経営が難しそうです”

「それに他の農家からよく、ハーブには虫がつかないから栽培が楽でいいね、なんていわれるんですがそんなことないんですよ。いくらでも害虫がつきます。だからちゃんとやることやったうえで、健康なバジルをちょっとでもたくさん作らないと本当に経営は成り立たない」

”厳しいですね、利益も無ければ手も足らない。怖い循環です。そんな多忙な中でもカレーリーフなどに着手するというのは、やっぱり大幸さんの特別な思いがあってのことですか?”

「そうなんです、なにせ僕はアジアンハーブ好き。だから今年もハウスの周りにカレーリーフをばんばんと植えて、他のハーブも続けていこうと考えていたんですが、台風で全部・・・・・」

ちなみにアジアンハーブとはなにか?大幸さんが実際に栽培してきたものを挙げますと、まず南インドやスリランカ料理に欠かせないカレーリーフ。そしてベトナムの香菜(和名はエリンゴ*3)であるノコギリコリアンダー、インドの伝統医療アーユルヴェーダでよく使われ、神のハーブともいわれるトゥルシー(タイではホーリーバジル)、タイをはじめ東南アジア各国で多用されるレモングラス、通称ベトナムシソ(赤紫色のシソ)、もちろん沖縄産のシマトウガラシも。他いろいろ。

(*3=田中良高農学博士らの共著「東南アジアの野菜、ハーブとスパイス」に記されている和名)

どれも亜熱帯から熱帯に生息するものですが、その土地の質や気候のあり方によって、安定して育つものもあれば、すぐに弱ってしまうものもあるようです。

「ま、最初の頃は好きなハーブを優先的に植えたり、まだ日本で生産されてないようなものを実験したりしてましたが、いろんな意味でそっちの線はまだまだ時間がかかりそう。やはりまずは維持が大切なので、だんだんバジルに力を入れるようになってきました」

”やはり、バジルはイタリアンの浸透もあるし、家庭でも使えることがわかっているから人気が高いんでしょうね。アジア料理ももっと広まって、さらに家でも簡単に使えることがわかるときっとニーズがあがるんでしょうけど”

「その日がいつか必ずやって来る!と信じているんですが、とにかくこちらは今日明日の現実がありますから、とりあえずこれで生計を立てながら」

大幸さんの口からでた「現実」という言葉が実に印象的でした。世の中には何事も現実的な人と、理想を追い求める人、というのがあると思いますが、多くの場合はそのどちらかを犠牲にして生きていくことが多い気がします。

そんな中で大幸さんは、理想を優先してきたが、ちゃんと現実とも向き合い、何とかバランスをとろうと手探りしながら生きているように見えるのです。

そもそも大原さん夫妻は農家としてはまだ4年目とキャリアが浅い。さらにご出身はお二人とも静岡なので、あらゆることが新しいことばかり。とにかく挑戦し続ける毎日だということです。

多美子さんにも聞いてみます。
”なぜ農家になろうと思ったのですか。そもそも、なぜ沖縄へ移住しようと思ったんですか?”

「ま、言っちゃえば私の憧れでもあったんですよ。島暮らし、自給自足の生活ってやつです!初めて旅行できたときにビビッときちゃった。あ〜私はここで住む!この島がぴったりとくる!って。それ以来、通い続けて、民宿の住み込みバイトも始めたり」

「特にこの人は夢ばかり見てるタイプなんですよ。僕は元々は現実的な人間だから」

「もう!私がしゃべってんだから黙っててよね〜」

冷静で泰然とした雰囲気の大幸さんとは対照的に、子供のように屈託のない表情で話す多美子さん。

「面白いですよ。私たちはすでに付き合っていたけど、私が石垣島に移住するって言ったらこの人も来たいなんて言ってね!で、焦って静岡で結婚式を挙げてこっちにきちゃったわけ!あはははは・・・・・それが2005年のこと」

”なんというフットワークの軽さ。僕も行動は速いほうですが、多美子さんにはかないそうにもない。ところで、そのときの大幸さんはどんな気持ちは?やはり多美子さんと一緒にいたいとか!”(ちょっと意地悪な質問をしてしまいました)

「ふんっ、まぁそれまでの生活に飽きていただけですよ。仕事も家もあって、何の不自由もない暮らしを得ているのに、なんだかこぅポツ〜ンというか、空虚というか・・・・・。大きな声では言えませんが・・・生き甲斐がなかったんです」

多美子さんに聞かれまいと途中から声を潜める大幸さん。それを、首を突き出して聞き耳を立てる多美子さん。2012年、大幸さんは45歳、多美子さんは41歳になります。子供さんもお二人いらっしゃるというのに、とても若々しくていいコンビに見えます。

”なんだかんだと見知らぬ土地では大変だったんじゃないですか?”

「ええ、それがですね、仕事はたまたま多美子の兄が勤める会社の支社が沖縄にあって、そこで働かせてもらうことになったんです」

業種は今とは似ても似つかぬ職種、不動産関係の企業だったと苦笑いする大幸さん。いったいなにがどうなって農家になっていったのでしょうか?

「これがですね、話すとちょいと長いんですよ。あのね・・・・・」

「実は農家としては私のほうが先輩なんですよ!私が先にやったんだから!」

「いいから、俺が話すのでちょっと黙っててくれるかな」

「あのねっ、あのね〜〜〜!」

まるで漫才かと思うような勢いでビニールハウス内に二人の声が飛び交います。無数に植えられた若いバジルが二人を囲んで見ているようでした。

つづく

『大原農園』