レストラン『星月夜』店主 加藤 俊介(後編)

「俊介君を支えているもの」〜その2

今日の午前、僕は犬山に着いたばかりだというのに、不思議ともう何日もこの町にいるような親しみや安心感があります。これはやはり、俊介君と里奈さんが心から歓迎してくれているからでしょう。

台所では俊介君と里奈さんが2人で食事の支度をしてくれています。その隣のダイニングで僕は本日撮った写真を自分のノートパソコンでチェック。

木造の佇まい、薄暗い電球。包丁がまな板にあたる音、味噌汁の香り、ご飯の炊ける匂いが立ち込めています。

そんなノスタルジーにどっぷりと浸りきった頃「ささ、ご飯ができましたんでいただきましょう!」と里奈さん。

「いた、だき、ます!」。全員で合掌。

と、これがのっけから味が輝いていました。まず口に入れたのは、艶々の青梗菜の菜の花(つぼみや頂芽の部分)です。生き生きとしていて活気に溢れています。

ざくざくとした歯応えでありながら崩れるような柔らかさ。さっとゆでて、わずかな醤油と、柚子が振りかけられています。おぅ、愛しの青梗菜ベビー♪

味噌汁もおいしくてたまりません。きりっとした旨みがあるのだけど決して濃いわけじゃない。飲むたびに鮮烈でありながらも、後味は潔いのです。

「これは里奈味噌です。彼女が作ったお味噌」

”ひぇ〜、なんて男前な味なんだ!(失礼!)”

「ええ、私が作りました。『星月夜』のあの場所で、いちど味噌のワークショップをやったんですけど、そのときに教わった麦味噌です。東京の町田の職人さんに来てもらって。それはそれは、本当に感動的でした」と里奈さんが目を輝かせます。

生ヌカで漬けたという漬物もたまりません。これで日本酒を始めちゃうとたぶん朝まで突き進むんだろうなぁ。(あぶない、あぶない)

山芋やレンコン、きのこなどをバルサミコ酢と共に炒めたメイン料理と、五分づきのモチモチとしたご飯を口いっぱいに頬張ります。噛むほどに繊細な美味しさがじわじわと染み出てきます。

そして、ひとつひとつの的確な包丁使いにも目がいってしまいます。漬物は見事な等間隔でゆがみがなく、炒め物のキノコや山芋はどれも同サイズにカットされています。こういう何気ない部分にも、俊介君がプロの料理人であることを感じます。

”ひとつひとつが素直な味わいでおいしいよ!”
(最年長の僕だけがお代わりしてしまいました)

「実は里奈のお父さんも無農薬、有機栽培の野菜を作られていて、いつも食べさせてもらってるんですけど、これがめちゃめちゃ美味しいんですよ。ほかにも、このあたりは農家の方が多いから、それはそれは健康で元気な野菜がいっぱい手に入ります」

そう、この美味しさのあり方は特別なものではなく、つい4、50年前までは、日本の普通の食卓だったはず。僕は昭和40年生まれですが、お爺さんお婆さんの家や料理が、30代半ばの俊介君たちのものと同じようだったことをよく覚えています。

食事を終え、そのまま食卓でしばし団欒。
”ところで俊介君は、どのようにして料理人になったの?”

「僕は隣の可児市で生まれて、その後、犬山の定時制高校に入学しました。でも、そのときに勤めだした料理屋さんが凄くやりがいがあって。僕は釣りが趣味なんですが、料理をすることもそれと同じような感覚で楽しかったもんで。だから1年生ですぐに学校を辞めて、この世界に入ったんです」

”それじゃ料理道を歩いて20年になるね。もう熟練の域だ”

「その後はイタリアンを中心に、ヘルプでホテルレストランへ行ったりも。やがては自分個人でケータリングの仕事も始めるようになりました。でも、だんだんと心の中に何かが引っかかりだして。そのあたりから自然食に興味を持ち出したんです」

それは俊介君が20代後半の頃。今でこそ自然食やオーガニックという言葉は日常的になりましたが、7、8年前は女性の嗜好という感じで、男性はまだまだ肉や味の濃いものをがっつりと食べるのが常識的という感じだったのではないでしょうか。

「そうです。ただ、僕の母親は無添加の化粧品を扱うエステ関係の店をしていて、元々”無添加”とか”ナチュラル”というものに抵抗なく育ちました。だからすんなりと興味を持てたのはそれが大きかったと思います」

”で、『月の庭』の桂織さんとはどのようにして出会ったの?”

「ええ、それがですね、この近所の本屋で見つけたんですよ。桂織さんが書いた『さしすせそ料理手帖』という本。うわ〜、こんな引き算の世界があったんだって、めちゃめちゃ感動しました。

それまでの僕はどんどん味を加えて、こねくりまわして、の足し算の料理ばかりでしたから。で、いますぐ食べてみたいと思って、店へ行ったその日に働かせてもらうことになったんです!僕が30歳になった頃、今から6年ほど前の話です」

”ええっ、俊介君も桂織さんも凄い!いったいどうなってんの?”

「その当時『月の庭』には桂織さんのご主人の岡田昌さんがいらっしゃいました。しかし昌さんはご病気で余命いくばくか、という状況だったのです。そのことも含めて、店を一任するということについて話してくださったんです。

ただ、それが理由で任せようとおっしゃったわけじゃありません。おふたりは元々人のことを全身で受け入れることのできる大きな器の持ち主で、それまでも同じように人を受け入れてきたといいます。

それに僕も昌さんを気づかって働かせてもらおうと思ったわけじゃありません。ただただ桂織さんの料理に夢中でした。よし、がんばるぞ!っていうそんな気持ちです」

話を聞いている僕からすれば、ここは3人ともが人のことを屈託なく受け入れることができて、まっすぐでシンプル。また、前向きだし、逃げない。この人柄こそが今の俊介君を形成している根っこなのだと思いました。

「で、実際にはいってみて、もちろん桂織さんの料理観に衝撃を受けるわけですが、店は他の要素も多くあって、オーガニックや上質な食材や調味料、それに旅人や音楽家、絵描きなどいろんなアーティストの来店も多く、音響やイベントのことなどもたっぷりと学ばせていただきました」

”まさしく『星月夜』の原点という感じだね”

「そうそう、実は『星月夜』のあの建物なんですけど、最初は映画を上映しようと探し当てた場所なんです。鎌仲ひとみさんという監督の『内部被ばくを生き抜く』というドキュメンタリー映画で、東北の震災における放射能問題にちなんだ内容です」

”そういえば俊介君は昨年の電話でも、「被災した福島へ炊き出しに行ってるとか、お米の里帰りにチャレンジしている」とか、そんな話をしていたね”

「ええ、少しでも何かできることはないかと思って始めました。福島のチヨニシキという米の苗を亀山で栽培したんですよ。で、収穫できた米を福島の福祉施設に送り届けるというもの。いろんな人間や組織が協力して無事に成功することができました」

キャンペーン的なものではなく、志のある者たちがひたむきに行動していく姿に感動します。あれだけの惨事だからこそ学びに変えていこうとするパワーも素晴らしいと思いました。僕などは、ただただ悲しみを分かち合うことしかできないでいます。

「僕たちは何度か現地へ入っているのですが、行くたびに痛感します。東北から離れるほど人々の意識に温度差があることを。また報道と現場のギャップにも驚かされました。このままじゃいけないと思って、この映画の上映会をしようと考えたんです」

俊介君が作る料理、マーケットの開催、またそれ以外のイベントもすべてがひとつの大きなメッセージにつながることに気付きました。

「安全、元気、美味しさ」。
言葉にすると、あまりにも呆気なく簡単です。でも、これはとても厳しいこと。

これらを守るために古きよきものを尊び、先人たちの知恵を授かり、自分はひたすら行動を起こす。その原動力となるものは、金銭や道具、知識もあるでしょうが、一番は人との喜びの分かち合い。心の栄養は消費することなく蓄えることができます。

そのサイクルを実現するために『星月夜』は誕生したのだと、僕はそう察しました。

「さ、明日は早いですし、そろそろ休みますか」(俊介君)
「あ、そちらの部屋にお布団を敷いておきましたから」(里奈さん)

時刻はいつの間にやら11時を過ぎていました。明日、俊介君たちは三重県志摩までいって海苔を採りにいくといいます。なにやら仲良くしている海女さん夫婦がいるとか。そんな話を聞いて僕も行かないわけがありません!

単にお金をはたいて仕入れるだけでは意味がない。自らも自然に触れながら、その道の職人たちと少しでも苦楽を共有することで、目には見えない思いやドラマを料理に載せることができる。俊介君はそう考えているのです。

いや〜楽しい取材で僕は幸せです。ごちそう様。そしておやすみなさい。また明日!

つづく

『星月夜(ホシヅキヨ)』