引っ越し、まずは断捨離。
岡山の実家には冷蔵庫と洗濯機を送る。年に数回、帰るために。
引っ越し日が決まり、叔母に電話する。荷入れの立ち合いを頼む。
「本当に行くんじゃなぁ」「いよいよじゃなあ」「何でもゆうてくれたらええよ」。
やさしい岡山弁、亡き母を思い出す。ありがたい。
ガスオーブンは京都のパン作家、マユさんへ譲ることに。
京都のアトリエ時代から7年、使い込んだ。
思い出の愛機は鳥取、京都、東京と旅して結局、原点の地へ舞い戻ることになった。
焦げがあちこちついている。ピカピカに磨いて送り出したいけれど…。
名誉の勲章、ということで許してもらおう。「故郷」でもうひと踏ん張り、するのだぞー。
別送便の荷造り完了。
「航空便で197キロ以内」というのが条件だった。
午後9時、1歳10カ月の丁稚ケイが眠ってからが荷造りタイムになった。
優先順位の高いものから詰めていこう。でも、どれもいるような、どれもいらないような。
「目についたもの」「詰めやすいもの」から手当たり次第に箱に収める。
到着する3週間後、「なんでこんなもの持ってきたんだろう」を100回、つぶやきそうだな。
本4箱、衣類や文房具…。
詰めたら段ボール箱を持ち上げ、体重計に乗る。自分の重さを差し引いて重さをメモする。
海外引っ越しだとリストづくりも欠かせない。「本 books 70冊 99150円」。詰めたもの中身を日英語で書き、数量と価値を書かなくてはならない。
ええと、空気清浄器って英語でなんて言うんだっけ。
電卓、電子辞書、こすって消えるボールペン、体重計が海外引っ越し必須アイテムなのだった。
総計194キロ、13個。
残りは我が身とともに出国当日、機上に乗せてもらう。
海外赴任者向けサービス「JALファミリークラブ」やマイレージ会員の特典をフルに活用すれば、330キロまで送れる。
無印良品もユニクロもイケアもコンビニもアマゾンも、ない国だ。
ついでに宗教上の理由で、牛肉や豚肉はほとんど手に入らない。
日本にいると「それら抜き」で回す暮らしが想像しづらい。
いや、なくたってきっと何とかなるのだろうけれど…。好き好んで負荷をかけることもないか。持って行けるものは持って行こう。
人間モップを連れて街へ。
ガス台や電気ポットも処分した。自炊もできない。せいぜい食べ歩こう。
まずは公園で丁稚ケイを遊ばせる。遊び疲れたころに朝食へ。
巣鴨のパン店「喜福堂」では、店主マユコさんが別れを惜しんでくれた。「せっかく友達になれたのに…」。
いえいえまたきっと、会えるはず。焼きたてのクリームパンと、マユコさんの笑顔に吸い寄せられて。
公園がつかのまの「息つぎポイント」。
とはいえすぐに脱走するから目が離せない。こっちだよ、こっち。
手を引くとひっくり返る。無理やり引きずる。君は床拭きモップかー。
タダ掃除サービスですー。商売替えしようかしらん。
水深2メートルのプールで息つぎせず1日中、ヘタなクロールをしているみたい。
「元気はつらつ子育て単身老母」を演じるのもあきらめた。
もうダメー。お母さん、助けてー。叫びそうになる。
寝静まったのを見計らい、夜中に荷造りをする。ゴミ袋を抱え、1階の置き場へ降りる。
1人になれる唯一の瞬間。
エレベーターに乗り、両手のポリ袋を地面へ降ろす。肩も10cmほど、降りるような。
はぁー。10秒ほどだが唯一、ホッとできる瞬間だな。
ケイが眠っている間に携帯を見た。
あれ、撮った覚えのない写真が30枚ほどある。
三輪車に乗ったケイに携帯を渡していた。youtubeのアンパンマンを見せていたのが、いつのまにか撮っていたんだ。
彼の目に映る東京を指でなぞる。
空が高くてビルがそそりたっていた。なぜか「肉そば」の看板が映っているのもおかしい。まだ小さくて、ガリバーの国みたいに街が見えているんだな。
ちょっとじんとした。
引っ越しまであと1週間、ヘタなクロールで泳ぎ続けよう。