インドお引っ越し編(下)グルガオンの新居へ

荷物300キロとともにデリー着。

段ボール9箱、スーツケース2箱をカートにのせ、3人がかりで外へ運び出す。

税関は無事に通り抜けた…はずが。空港の外で呼び止められた。別室に来い、という。

「今日から赴任で、すべて私の身の回りの物です」「個人で消費するものしかない」。言い張った。だって本当だ。

段ボール1箱をカッターナイフで開ける。カップスープが出てきた。
「食品2キロ以上はダメだ」「そんなルールはない」。

押し問答の末、「100ルピー(190円)」で落ち着いた。

相方ユウさんが財布を広げる。「あれ、500(ルピー札=950円)しかないわ」。

差し出して領収書をもらう。もちろんお釣りはなかった…。

ようやく解放されて外に出る。あつーっ。毛布のような空気に包まれる。

午後5時で41℃、日中はいったい…。

インドの人たちはエライなあ。どんなに暑くても長袖シャツに長ズボン姿、きちんとした格好をしている。

デリーの熱風と真っ赤なバラ10本と。

知人ナイドゥーが迎えてくれた。「タダサン、お久しぶりです」。バラの花束を渡してくれた。憎いなぁ、もう。

相方ユウさんが17年前、ソニー・インディアに赴任したころの運転手だった。当時から「他のドライバーとは全然違った」。丁寧な運転で時間を守る。

まじめに働いて10年前、ハイヤー会社をおこした。いまや300台の車と運転手を派遣する立派な社長さんだ。インディアン・ドリーム、だな。

トヨタのミニバン・イノーバ2台に荷物を積む。空港から国道8号(NH8)を走る。30分ほどでグルガオンへ。

2年半前にも数カ月、滞在した街だった。帰って来たんだな。

元々は砂漠だったがデリーの衛星都市として高層ビルが林立する。車窓から外を眺める。

あれ、牛がいない。

道路わきに野良ブタや野良犬が寝そべっている。2年半前は牛もいた。どこへ行ったの?追い払われた?

グルガオンと東京を1年10カ月、ほぼ毎月行き来していた相方ユウさんは言った。

「人になったんじゃ、ないんですかねぇ」。んなアホなー。

1歳10カ月の丁稚ケイは「ブーブー」と言いながら車窓を指さして興奮していた。

ティッシュ売りの少年や白い花飾り売りの少女、そして腕のない物乞いがガラスをたたく。

ケイの目にはどう映っているんだろう。

住まいに到着。

3月下旬に正式赴任したユウさんが探し済みだった。アパート5軒を見て決めた。不動産めぐりは大好物、一緒に見たかったけれど。

27階建ての4階にある部屋に入る。

ミネラルウォーターのタンクでケイはさっそく、水遊びを始めた。そこいら中、びしょびしょに。コラー、公園ちゃうでー。

大きな冷凍庫はハイアール製だった。オーブンもあった。よかった、お菓子が焼ける。冷蔵庫、洗濯機とともにLG製だった。

私にとってテレビのある暮らしは8年ぶりになる。エアコンとミネラルウォーター・タンクはインドのボルタス製だった。日本製が少ないな。頑張れー。

あ、DVDプレーヤーもソニーだった。ちょっとホッ。

ベランダからプールが見える。

どこにいたって水辺が見えるとホッとする。気分はハワイ、ハワイ。言い聞かせる。

プールの向こうは青い海…じゃなくて、灰色のビル工事現場と車の列が見える。いかにもグルガオンらしい。

右隣のモールには見慣れたロゴが飛んでいた。水色の「KUMON(公文)」、真っ赤な「KFC(ケンタッキー)」の看板だった。高級スーパー「マルシェ」もあるらしい。

徒歩で行ける店は貴重だわ。道路を渡ってすぐ行けそう。

ユウさんが言った。「無理ですよ。信号も横断歩道もルールもない」。高速道を横切るようなものか。

あきらめきれない。歩いたって5分なのに。東京で毎日、10キロ歩いていた身にはつらい。

アパート敷地内を散歩しよう。

バスケットコートや遊び場があった。ケイはさっそく、インドの少年のボールを奪い、5歳の少女に遊具を回してもらって喜んでいた。ちゃっかりしている…。

いざ、荷物整理。

2年半前に送ったままインドの倉庫に眠っていた荷物は段ボール91箱ある。今回、持ちこんだものをあわせると120箱になる。フーッ。ちょこっと途方に暮れてみる。何が出るやら実は、ワクワクしているのだけれど。

部屋を眺める。テーブルや机がある。文化的生活が3年ぶりだ。しみじみうれしい。たくさんの人が集まる「アトリエおやつ新報インド版」にしよう。