パリ、チョコレートの旅<7>



7日目7:00、ジョギング5回目。

昨夜の革命記念日の宴のあと、7区界わいを走る。サンドミニク通りにあるパン店「ジュリアン」と「ル・ムーラン・ド・ラ・ヴィエルジュ」でクロワッサンとパン・オ・ショコラを買った。本日も「パシリジェンヌ」、無事に任務終了だわ。

編集者メグミさんは今日、帰国する。

「人生の岐路を迎えています」。そんなメールをもらったのが4月だった。

東京・駒込のデニーズで会った。人生の岐路…勝手に想像する。20年勤めた出版社をやめるのかな。フリーの編集者になるのかな。

想像を超えていた。「出版社を始めようと思っていて…」。まさか会社をつくるとは。

やられた。座布団100枚だわ。「その手があったか」。デニーズで大声を出した。すごい。すぐに続けた。

「私の本を第1号にしてください!」

パリ行きを誘った。話が進み、彼女は最終出社日の4日後、パリに旅立ったのだった。

本作り、会社づくりという冒険、テーク・オフ。

帰国したら会社を登記する。注文書を持って大きい書店めぐりをする。同時に本作りを進める。

「おうちでつくるパリのチョコレシピ」がテーマの私の本が、まんまと第1号になりそうだ。

「2月のバレンタインをにらむと、年内には出したいですよね」「出しましょう」。2人で言い合いっこしながらテアトル通りを歩く。

頼まれもしないのに会社名を考える。女性と子どものための出版社をめざすという。ぬくもりのある言葉で、いい響きのフランス語はないだろうか。

「パニエ(かご)」「ア・ラ・マン(手で)」「ア・ピエ(足で)」…。ええい、いっそのこと、「メグミ出版」でいいのでは…。

「書店に本が並んだら…」「いやあ、泣きますねぇ」「でも、並んだだけじゃダメだから」。

「思いっきり素敵な本にしましょう」。言い合った。

12:00、パリ№1のビストロ「ル・コルニッション」へ。

シェフの妻カヨコさんと再会する。1年前、チョコレートのデザート・レシピを取材させてもらった。その後、ビストロガイド「ルベ」2013年版でパリのベスト・ビストロに選ばれた。すごいなあ。

昼食は32ユーロ。

前菜は大きな貝殻パスタに仔羊のコンフィにリコッタチーズ、ボヘミエンヌ(ラタトゥイユ)が詰まっている。いいな、このパスタ。

メーンは骨付きステーキ、+10ユーロ。

どっかーん。2人前とはいえ笑っちゃうほど大きなステーキだった。

幸せすぎて涙が出そう。インドじゃ絶対、食べられない。写真を撮っていたらリサさんにからかわれた。「写真、引き伸ばしてパウチして、それを見ながらご飯、食べたら〜」。本当に十分、おかずになりそう。

8日目7:00、6回目のジョギング。

エッフェル塔をぐるっと回って帰る。明日でもう、最後だな。思いっきり街を駆け抜けよう。

8:30、三つ星レストラン「ル・ムーリス」で朝食。

旅の友リサさん、中3のミキちゃん母娘と出かける。ゴージャスな雰囲気だけでも味わおう。

パンとコーヒー、ジュースで40ユーロ。

ショコラティエ(チョコレート店)めぐり。

ラ・メゾン・ド・ショコラ、ラデュレのチョコ専門店、パトリック・ロジェをハシゴした。レシピの参考にしなくては。仕事スイッチが入る。

12:30、ル・コルドン・ブルー・パリ校へ。

ミキちゃんと集中コースの授業を見学させてもらった。私の「母校」になる。

お題は「モガドール」。キイチゴとチョコレートのケーキだった。

すべてがなつかしい。「ウィ、シェフ!」。大声で叫びそうになる。

集中コースの基礎課程だから、英語での返事が多いのも8年前と同じだな。

違うのはうんと、多国籍になっていること。

インド、バングラデシュ、アルゼンチン、イギリス、カナダ、台湾、香港…。生徒は20代が中心で50人ほどだろうか。一生懸命、メモをとる。質問の手がバンバン上がる。

白衣の腕にぶら下がったネームカードに出身国が記されている。私がいたころは日米韓中で9割をしめていたような。

「よかった」「エネルギッシュで」「シェフも生徒も通訳も真剣で」。日ごろは物静かなミキちゃんが目を輝かせていた。すっかり留学したくなったようだった。

もう1度、見たはずの授業だけれど私もパワーをもらった。鳥肌が立った。

アラン・デュカスの「チョコレート工場」へ。

「好きなチョコ店、教えてください」。こういうと必ず名前の挙がる評判の店に突入した。

スターシェフが半年前にオープンさせた「工場」だった。板チョコ1枚14ユーロ。「すべては本のため」と言い聞かせて8枚、わしづかみにする。合計112ユーロ。思わずひるむ。

すべてを血肉にして、きっといい本にしよう。