「職人の顔が見える包丁〜その1」
2013年8月10日。
芦刃物製作所のお盆休みの初日です。ですが芦さんは「僕だけちょっと宿題が・・・」ということで休日出勤だとか。一話目の原稿を届けたいこともあり、僕は急きょ工場へお邪魔させていただきました。
工場は幅約5メートル、奥へ20メートルほどもある鰻の寝床状態。普段は金属を打つ音、研ぐ機械のモーター音などが入り交ざっているのですが、今日はなにやら奥のほうから飛行機のエンジンのような「コゥッーーーーー!」という音だけが響いてきます。
突き進むと、一番奥に2、3メートルほどの大きな鉄の箱や二つのフードなどがあり、このあたりから音が聞こえてきます。そこに芦さんがいらっしゃいました。
”芦さん!今日はめちゃめちゃ暑いですね〜。ラジオでは今年一番の暑さだと言ってました。さっき携帯で調べたら読売新聞の気象情報欄には「堺=36度」なんて出てましたよ。大阪市内より1度高いんですって!”
「そうそう、普段から堺は大阪よりも暑いんよ。こんな日に限って焼入れってのもね(笑)。でも昨日は1050度やったけど、今日は950度くらいやからまだマシ」
”へっ?!”
何のことかと思えば、焼入炉の温度のことでした。炉の隣にデジタル温度計があり、950度以上をさしていました。
「扱う材質によって焼入れの温度は変わるんよ。昨日からやっていたのはクロームが13%入ったステンレス鋼で、今日のはセミステンレス鋼といわれるクロームの量の少ない鋼。だから温度が少し低いんやね。ちなみに、もっとクロームの量が少なくなると錆びやすい炭素鋼となるんよ」
そういえば15、6年前に芦さんを取材させていただいたときも、「鋼とステンレスの間」の話、「特殊なステンレス鋼」の話を伺ったことを思い出しました。僕はそれまで、包丁=ハガネかステンレス、なんて単純に思っていたので、実際には無数の質が存在するということを知り、包丁の奥深さを思い知らされたものです。
「材質によっていろんなことが少しずつ変わってくる。作り方もそうやけど、実際に包丁を使う時の質感、使い心地、ねばさ、手入れの仕方。もちろん値段もね」
通常、包丁の職人などと聞くと、怖くて頑固な人をイメージしがちですが、相手に合わせながら丁寧にいろんな説明をしてくださるのも芦さんの魅力。知識の幅広さと、わけ隔てなく人を歓迎しようとする姿勢が感じられます。
「なんや急に猛暑になったもんやから、昨夜ぜんぶやり切れなくてね。僕もいい加減に体力が落ちてきたなぁ。今日はあとこんだけ焼入れなあかん」
芦さんが目をやった足元の箱を見ると、僕は思わず声を上げてしまいました。
”おおっ〜三徳(家庭でよく使われる万能型包丁)!うわわっ〜中華包丁なんて久しぶりに見ました!えええっ〜なんと蕎麦切り包丁まであるじゃないですか!あぁ蕎麦食べたいっ”
そこにまだ命の宿っていない包丁があるということが、とてつもなく非日常的で、斬新で、興味深い、と思ってしまうのは僕だけでしょうか。
包丁には料理人の魂が刻み込まれる、と昔から飲食業界の諸先輩からそう聞かされてきました。クォリティがどうこうと言う以前に、使う人間の日々のいろんな気持ちが一番詰めこまれていく場所。
たかだか30センチ程度の一枚の金属なのに、包丁はやっぱりずっしりと重たいです。
でも、いま目の前にあるのは人の念が入る前どころか、まだ生れる前の包丁。いまから芦さんの手によって完成に向かうかと思うと、なんだか自分も生れたてのピュアな気持ちになってきます。
さて、お仕事の邪魔をしては申し訳ありません。僕は黙って(できるだけ!)作業を見させてただくことに。
左側の大きな金属の箱は焼入炉。そのすぐ隣のシンクのようなものはどうやら冷却装置のようです。その支点となる位置に芦さんが腰掛け、包丁を2枚ずつ、交互に重ねて炉の中へ入れていくのでした。
中をのぞくと赤いスポットライトをあてたかのように真っ赤っか。2、3メートル離れていても暑さで汗が噴出してきます。
数分後、ヤットコのようなものでつまみ出し、今度は丸い壺のような形をした焼き場へ移します。
その後、再びつまみ取り、カンッカンッ!と2,3度弾かせて、今度はシンクの中に入れます。するとシュワッ〜と音がして、湯気がたちあがります。
この作業を、まったく同じリズムで延々と繰り返す芦さん。
真夏の猛暑も加わって工場内は殆どサウナ状態。いったい何度になっているのでしょうか。とても人間が集中できる環境とは思えないのですが、芦さんはまるで暑さを感じていない機械のようにやり続けています。
コゥッーーーーーー、ゴォォォーーーーー!
先ほどよりもさらに大きくなり響く飛行機のエンジン的な音も、余計に暑苦しさを増幅させます。
この音と高湿高温に包まれること約2時間。汗でぐっしょりの僕は三脚に設置したカメラのシャッターを押すことさえもままならないほど朦朧状態です。
”焼入炉。こいつはまるで鰻の蒲焼だ。隣の丸い壺?そりゃ鮎や岩魚を焼く炉端だろ・・・。冷却装置はラードがたんまりと入ったオイルパンとおんなじだ。唐揚げやコロッケが美味しく揚がるよ・・・ふふふ・・ふふふ・・・”とちょっとヤバイ感じ。
と思ったその瞬間、芦さんがすくっと立ちあがって、こちらを振り返りました。
「さてっ、そろそろお昼でもいきますか!!」
カチッ。ヴィィィーーーーーーーン・・・・・・・・。電車が止まるかのように、ゆっくりと音が消えて行くと同時に熱気も和らぎ、僕も正気を取り戻しました。
というわけで近所の蕎麦屋へ駆け込みます。今度はエアコンの効いた快適な店内で、お客たちが蕎麦をすすったり、テレビの音などがBGMに。蕎麦を食べながら芦さんはいろいろな話を聞かせてくださいます。
「焼入れっていうのは、あの通り高い温度での作業なので、どうしても途中で手を止めることができないんです。だから一度始めたら一気にやってしまわんとアカン。それが今回は二日間にわたってしまった。僕ももう体力がなくなった・・・」
”いやいや、普通の人間ならあの状態は30分も持たないんじゃないですか!そういえば芦さんの工場にはたくさんのスタッフがいらっしゃいますけど、あの作業を他の方にはさせないんですか?”
「いや〜過酷過ぎるよ!あの仕事は僕だけ。でも・・・そろそろとは思ってるんです。ただし夏の最中ではぶっ倒れてしまうやろうから、真冬の極寒の日にでもやらしてあげないと」
”スタッフの方はお見受けした感じ、20代からのお若い方が揃ってらっしゃるような。その中で地獄の作業が芦さんのご担当だなんて、とても65歳には思えません!まさに鉄人ですね!”
そういうと、芦さんは少し笑みを浮かべながらこう続けました。
「僕はね、一貫してできる仕事をみんなに覚えてもらいたいんよ。鍛造、研ぎ、柄付けなど1つではなく、最初から最後まで作り上げることができる職人になってほしい。
そのことで物づくりにかかわる色んな人間の苦労や喜びを感じることができるし、また意欲を持った若者を養成できる方法でもあると、そう考えているから」
”単に物を作る、のではなく、心を造り上げているのですね。現代の日本人が最も枯渇している部分かもしれません。なんだか芦刃物製作所が学校のようにも思えてきました”
「ふむ。昔ながらの師匠と弟子の関係もいいけど、その前に人の気持ちや自分の気持ち、いろんな感動を覚えていかないとね。
どの業界も同じかもしれませんが、包丁の業界もどんどん従事者が減少しています。問屋も、昔なら仕事の質の良し悪しで注文をしてくれたけど、いまでは後継者の有無を考慮するところも出ててくるほど。
不況や、質を求める料理人の減少など、色んな理由があるとは思います。少なくとも堺においては、伝統というものにこだわりすぎて、新たなニーズに応えにくい状況になってしまった、ということもあったと思うんです。
堺が得意なのは、鋼の錆びるもので、無垢の木の柄がつく和包丁。でもニーズは錆びにくくて手入れが楽で、その上で切れるもの。そんな風に・・・・・」
たおやかな蕎麦をツルツルとすすりながら、芦さんのトークは徐々に切れ味が鋭くなっていくのでした。
つづく