「堺と刃物と芦さん」
泣く子も黙る!大阪人も一目置く?!この町こそ天下の台所!!
なんだか、そんな風に叫びたくなるのです。なぜでしょう?つくづく深みや威厳を感じてやまない町、堺、【SAKAI】。
他の町に比べて、あまりにもたくさんのイメージが沸いてきます。
ヤマト王権、日本最大の前方後円墳、東洋のベニス、鉄砲、織田信長・・・・・・。政治や経済の歴史が深いものだから、おのずと文化面も多彩です。
染めもの、敷物、お線香。生まれ育った文化人は数知れず、それこそ泣く子も黙る超一流なら行基や千利休など。趣味の人なら絶対に知っているであろう、自転車や釣り道具の都。食べ物なら昆布や無数に存在する和菓子。もう目が回るほど。
すみません、「職人」の話をするコーナーなのに、町のことばかり。でも、本題に入る前に、堺のことをある程度つかんでおいてもらいたくて。ええ、もう少しだけ。
堺は大阪市の南部にある政令指定都市で、人口、面積ともに大阪市に次ぐ第二の巨大都市であります。町のDNAを調べようとネットで調べてみるものの、泉州、和泉、河内などといった大阪南部の旧国名が錯綜し、結局のところ正確なことはよくわかりませんでした。
ただ、言えることは江戸時代には大坂とは別に堺奉行所(幕府が政治や経済を直接取り仕切る重要な土地という意味)が置かれ、明治時代には堺県なるものも存在したということ。つまり”堺”は”堺”。確固たる独自の存在感を持っているということです。
このオリジナリティの中から、今ではすっかり世界にまでその名を馳せる文化がいくつかあります。そのひとつが今回のテーマとなる包丁です。
堺における鉄の技術の歴史は古く、5世紀にはすでに始まっていたと言います。そして室町時代には河内鋳物師(かわちいもじ)と呼ばれる金属鋳造の技術者たちの一大拠点となり、時の朝廷からお墨付きを受けるほど優秀だったそうです。
東大寺の大仏の修繕や鎌倉大仏の鋳造でも活躍し、やがて全国各地にその技術が伝播。平安時代末期には刀製造へと進化し、室町時代には煙草を刻む煙草包丁。そして後の戦国時代には鉄砲の生産が盛んに。
江戸時代には、これらの一貫した鍛造技術の歴史の深さと質の高さが認められ、他地域の物とは一線を画し、幕府は「堺極」(さかいきわめ)という印を入れて専売を始めたといいます。
現代の包丁のほぼすべてが、江戸時代中期に確立されたものというからその繁栄ぶりとパワーは凄いものがあります。そう、この時代から根本的にはもう変わりがないということ。包丁の黄金時代だったのですね。
堺の刃物は現在、経済産業大臣指定伝統的工芸品となっていて、正式には「堺刃物」「堺打刃物(さかいうちはもの)」と言います。国内のプロ用包丁の90%以上のシェアがあると言いますから圧倒的な実績です。
ところで平成の今、堺にはどれくらいの数の刃物製作所があるのでしょうか。堺市役所に問い合わせてみました。
「4つの組合からなる連合会に所属している事業所だけで78社(*2013年6月)。堺の刃物業界は基本的に分業制で、鍛造、研ぎ、柄つけ、卸など各業種のすべてを含んだ数」とのこと。
ちなみに国の統計調査では大阪府全域で刃物事業所が17となっているらしいのですが、これは1事業所に4人以上の従業員がいる、という条件つきなのだとか。
「ただし、堺には1〜2人の小さな工房が数え切れないほどありまして、それらをあわせるといったいどれくらいの数になるかは・・・・・とても計り知れない状況です」と市役所の担当者。堺の層の厚みを感じます。
ですが一方では「昨今は時代の変化に伴いどんどん閉業、離職していく者が増えているのも事実」とのこと。ということは料理人の数も減っているということでしょうか。それとも包丁にこだわる料理人が減っているのでしょうか。
とまぁ概況的な話はこの辺にして、そろそろ今回の主役「芦刃物製作所」2代目の芦博志さんのお話をしたいと思います。
そんなに層の厚い堺の包丁職人の中でなぜ芦さんなのか?その理由はいくつもあるのですが、まず一番に来るのは、僕が最も大切にしている包丁が芦さん作だから!
初めてお会いしたのはおそらく1996年か翌年くらいだったのではないかと思います。確か日本経済新聞での取材だったような。その取材後、芦さんはご家族を連れて、当時僕がやっていた小汚いバーまでわざわざ遊びにいらしてくださったのです。
で、その際に2本の包丁を頂いたのでした。1本はいわゆる牛刀(23センチ)、そしてペティナイフ(15センチ)。包丁に芦さんオリジナルのブランド「銀香」(ぎんが)の文字が刻まれています。壮大でありながらちょっと色気も感じる響です。
この包丁を頂いて以来、僕は三重県に引っ越して飲食店をあけたり、大阪に戻ってきたかと思えば東奔西走の毎日で、住む場所も何度か変わり、なにかと多忙な時期が十数年続きました。
で、そうなるといろんなモノを捨てていくわけですが、この2本の包丁だけはいつも肌身離さず持ち続けてきたのです。包丁は料理人の命。育った環境からか、そう身体に刻み込まれているためだと思います。
この包丁を初めて手にした時、芦さんは確か「丁寧に使い込むとそれほど研ぐ必要もないし、いつまでも使えるはずです」と言ったような言ってないような。でもそんな感じのことをおっしゃったのです。
それを聞いて以来、絶対に他の人にこの包丁を触らせませんでした。自分の妻にもです。変な癖がついたり、傷がつくのを恐れて。あまりに大事にしすぎて、魚や肉にも使いませんでした。ま、極端すぎると言えば極端ですね。えへへ。
でも、さすがに時と共に水垢と言いますか、油染みのようなものが積み重なって、切れ味はいいのですがどうも粘っこいというか、ねむい感じというのか、すっきりと力が伝わってる感覚がなくなりつつあったのです。
で、昨年のこと。「職人味術館」を企画したとき心の中でひそかに決めていました。必ず芦さんを取材する。そして同時に研ぎにもだしたいと。
さて先日。満を辞して、15年ぶりに僕は芦さんの製作所を訪ねます。長い時間を経て、ケースはとっくに潰れてありません。新聞紙とタオルにくるんでもっていきました。
このあたりだったかな、あっちだったかな。きょろきょろと歩いているうちに、芦刃物製作所の看板を発見。見た感じ、あの時とまったく変わっていません。いよいよドアを開けようかと思ったその瞬間、中からお客さんと芦さんがでてこられたのです。
”うわっ!芦さん、怖いくらいに変わってない。いったいおいくつなんだろう!?”
声をかけますと、やはり最初は気付かないのですが、話しているうちに「あぁあぁ!」となって、すぐさま二階の奥の部屋に通してくださったのです。
芦さんはまったく時間のブランクを感じさせることなく、たくさんの話をしてくださいました。
お仕事の話。町の話。ご自身のライフワークの話などたんまりと。そして最後に僕は切り出します。ひとつは今回の取材の申し出を。そしてもうひとつが、あのときに頂いた包丁を持ってきたことを。
すると芦さんはすっと包丁の刃を睨み、「あれ、ぜんぜん刃が欠けてないやん。あんまり使ってへんのとちゃう?」。
その瞬間、僕は赤面してしまい”ええ、お恥ずかしながら、ケチな性格に加えて大事にしすぎでこの有様です”。
すると芦さんは足早に工場の中へ入っていき、機械のスイッチを入れてウィーーーーンと研いでくださいました。仕上げまで進み、最後に油を染み込ませて出来上がり。
「はい、これで大丈夫!」
それは、まるで新品のような輝きを放っていました。嬉しくて嬉しくて、僕は思わずこういいました。”芦さん、この包丁って確かステンレス製とおっしゃってましたよね?”
すると、それまでニコニコとした表情でいた芦さんの動きがぴたっと止まり、3秒後にゆっくりとこう口を開きました。
「いや、それはステンレスやないよ。鋼(はがね)。鉄!」
顔面が蒼白となった僕は怖いやら恥ずかしいやらでごまかすかのように”あ、あぁ、ステンレスがどうのこうのって、確か・・・。なわけないですよね!あは、あははははは!”
「ふむ、ステンレスといってもいろいろとあってね。確かにうちでは特殊なステンレスを使った包丁もたくさん作ってますよ。でも、これは鋼、鉄!」。芦さんの眼鏡がきらり〜ん。
”あは、あははははは、鋼ですよね!あはははは・・・・・・”
15年ぶりの再会。そして念願の包丁の手入れ。さらに今回の取材の申し出。これらのすべてを芦さんは受け入れてくださいました。この後、僕は家に帰って生まれ変わった包丁の切れ味に驚嘆したことは言うまでもありません。
というわけで、より突っ込んだお話は次回からいたします。
つづく
堺刃物『芦刃物製作所』
堺の刃物屋の中ではまだ若く、昭和23年の創業。博志さんで2代目となる。元はOEM(他社ブランド)生産が主流であったが、博志さんの代より自社ブランド『銀香(ぎんが)』を立ち上げる。確実な切れ味、使いやすさ、丁寧なアフターケアをしてくれることから、多くの一流プロ料理人からも信頼されている。現在は、カスタムナイフ、篆刻刀※を。また博志さんは鉄アートにも着手。伝統を守りながらも、枠にとらわれることなくアクティブに展開していく様は国外からも高い評価を得ている。
(※篆刻(てんこく)とは、石などの印に書を刻むこと)
●大阪府堺市堺区並松町14番地
072-229-4920
http://www.ashihamono.com